有名な騎手

「天才騎手」と呼ばれる武豊

現役で、最も有名な騎手といえば、武豊騎手でしょう。父親が騎手で、祖父が馬主協会の元会長という競馬一家に生まれ、幼い頃から栗東トレーニングセンターで競走馬と触れあいながら育ちました。

1987年、騎手として17歳でデビューすると、1年間に69勝をあげ、関西新人記録(41勝)を大幅に更新、新人として初めて菊花賞やジャパンカップというGⅠレースにも騎乗しました。

1995年には、史上最速、最年少(26歳4ヵ月)で1000勝を達成するなど数々の記録を更新して「天才騎手」と呼ばれています。勝利数は、すでに3600勝を超えており、歴代1位です。

武豊騎手は、馬の走るリズムに合わせ、手綱を絶妙のタイミングで引いたり、放したりすることで、他の騎手より馬の歩幅を数センチ長くすることができるといわれています。

また、馬の性格や特徴に合わせ、どんな乗り方もできるところが、騎手としての強みといわれています。

馬の特徴を最大限に発揮させる安藤勝己

2012年限りで引退しましたが、安藤勝己騎手も、ファンから「あんかつ」と呼ばれる人気騎手でした。騎手になった兄の影響で競馬界に入り、1976年、地方競馬の笠松競馬場(岐阜県)でデビューしました。

3年目から最多勝のリーディングジョッキーに君臨し続け、「カラスの鳴かない日はあっても、あんかつの勝たない日はない」と言われました。

2003年、中央競馬へ移籍し、デビュー翌日に重賞レースで勝利。さらに、30日目にしてGⅠ(高松宮記念)に勝つと、1年目に133勝をあげて勝利数で3位に食い込みました。

安藤騎手は、騎乗する馬の特徴を徹底的に研究して、その特徴を最大限に発揮させるのがうまく、手綱を通して馬と気持ちを深く通じ合わせることができる騎手といわれました。

馬優先主義の名手と呼ばれた岡部幸雄

競馬ファンから「名手」と呼ばれたのは、通算勝利2943勝で歴代2位の岡部幸雄騎手です。中学生の頃から騎手を志望するようになり、当時あった馬事公苑の騎手養成所に入学し、1967年、18歳でデビューしました。

すぐに頭角を現して勝利を重ね、1984年には、騎乗するシンボリルドルフが史上4頭目の三冠馬(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)に輝きました。

また、古くから残る厩舎や馬主とのしがらみを嫌い、どこの厩舎にも属さないフリーランス騎手の先駆けともなりました。

岡部騎手は、アメリカ競馬の影響を受け、「馬優先主義」を始めとする考え方や技術を取り入れました。

シンボリルドルフで挑んだ1984年の日本ダービー、第3コーナーで嫌な予感を感じた岡部騎手は、焦ってゴーサインを出してしまいました。すると、シンボリルドルフは「しっかりつかまっているだけでいい」と返事したといいます。

それ以来、岡部騎手は、馬の背中から感じる馬の気持ちや状態を最優先にして騎乗するようになったそうです。

落馬事故で引退に追い込まれた福永洋一

福永洋一騎手は、1968年に19歳でデビューすると、3年目に年間最多勝騎手となり、9年連続でその地位を保ちました。

4年目の1971年、菊花賞(3000メートル)で、距離が不向きなうえに追い込み馬と見られていたニホンピロムーテーを1500メートルで先頭に立たせるという奇策に出て勝利。これをきっかけに「天才騎手」と呼ばれるようになりました。

1977年の皐月賞では、最後の直線で内ラチ(内側の柵)のわずかな隙間から追い上げて勝ち、「神業」とも呼ばれました。

しかし、1979年3月4日、阪神競馬場で行われた毎日杯の最後の直線で、落馬事故に巻き込まれて落馬。頭を強打すると同時に舌を噛み切る重傷を負って引退しました。

福永洋一騎手の最大の特徴は、レース中の判断とその速さといわれていました。

岡部騎手は、その判断力を評して、「武豊は常にミスのない判断が即座にできるのに対して、福永洋一は彼にしか思いつかないような判断ができる」と話していました。