ゲームクリエイターの有名な人・人気のブログ・インスタ【2019年版】

ゲームクリエイターに求められる能力とは?

ゲームクリエイターというと、ゲームの企画や制作に携わる人全般を指すのが一般的です。

現場では、プロヂューサーやディレクター、プランナー、シナリオライターなど、多才な職種が存在しています。

多才なクリエイターたちがチームを組んで1つの作品を創り上げていくので、コミュニケーション能力や団結力などが求められます。

また、急な残業や泊まり込み作業が続くこともあるため、心身のストレスを上手に開放することも必要です。

今でこそ有名になったゲームクリエイターたちですが、才能やセンス以外にも、目に見えないところでの苦労を乗り越えての今があります。

今回は、ゲームクリエイターとして有名になった人やインスタを紹介しますので、将来の参考にしてください。

ゲームクリエイターの有名な人

ゲーム業界をリードしてきた第一人者や、手がけた作品が大ヒットに結びついて有名になった人など、9人のゲームクリエイターを紹介します。

どのような経緯を経てゲームクリエイターになったのか、どのような活動をしているのか見ていきましょう。

横井 軍平(よこい ぐんぺい)

「ゲームの父」と呼ばれる故横井軍平さんは、任天堂のゲームボーイなどの開発に携わったことで有名なゲームクリエイターです。

1965年、同志社大学工学部電子工学科を卒業し、ようやく採用されたのが横井さんの地元、京都の「任天堂」でした。

入社当初は設備機器の保守点検が主な仕事で、暇を持て余して伸縮するおもちゃを作っていたところ、社長室に呼び出されてしまいます。

しかし、これがのちに、遠いところにある物を掴める「ウルトラハンド」という大ヒット商品になったのです。

そのおかげで開発課が設置され、ファミコンやゲームボーイなどを開発し、世に送り出すことができました。

1965年に任天堂を退社し、ゲーム関連の企画・研究所「株式会社コト」を設立。

しかし、翌年交通事故によって56歳という若さで他界してしまいました。

今では「ゲームの神様」と尊敬され、横井さんの哲学「枯れた技術の水平思考」が、株式会社コトに引き継がれています。

<主な作品>
・ゲーム&ウォッチ(十字キーも考案)
・バーチャルボーイ
・ゲームボーイポケット ほか多数

宮本 茂(みやもと しげる)

京都府出身の宮本茂さんは、横井軍平さんとともに任天堂を世界的に有名にした、ゲームクリエイター・ゲームプロデューサーです。

1977年、金沢美術工芸大学を卒業し、任天堂社長と父親とが友人関係にあったことをきっかけに入社します。

入社3年目に、当時開発課の部長だった横井軍平さんから抜擢され、プログラミング以外の作業をすべて担当。

1981年、世界的ヒットとなった傑作「ドンキーコング」を完成させ、1985年には「スーパーマリオブラザーズ」を世に送り出しました。

その後もゲームを続々と開発。世界中のゲームクリエイターに影響を与えるひとりとして活躍し、現在は任天堂代表取締役フェローです。

国内外で多くの賞を受賞し、1993年日本ソフトウェア大賞´92「MVP」、2007年にはTIME誌「TIME 100(世界で最も影響力がある100人)」に選ばれています。

<主な作品>
・スーパーマリオブラザーズ
・ゼルダの伝説
・ドンキーコング ほか多数

手塚 卓志(てづか たかし)

大阪府出身の手塚卓志さんは、宮本茂さんらとともに任天堂で活躍する、有名なゲームクリエイター・ゲームプロデューサーです。

家庭用ゲーム機のファミコン黎明期からゲーム制作に携わり、「スーパーマリオブラザーズ2」においては、ほとんどのデザインを担当しました。

大阪芸術大学芸術学部デザイン学科で学んでいるときは、さほどゲームが好きだったわけではないものの、ゲームの絵をデザインしたいという思いを抱いていたそうです。

任天堂に就職したのは、就活支援の掲示板を見たことがきっかけとなりました。

面接官は宮本さんだったそうですが、「ゲームメーカーじゃなくてもいい」との手塚さんの発言に興味を持たれての採用でした。

現在は、任天堂の執行役員および企画制作本部上席統括に就任しています。

<主な作品>
・スーパーマリオブラザーズ
・ゼルダの伝説
・どうぶつの森 ほか多数

堀井 雄二(ほりい ゆうじ)

兵庫県出身の堀井雄二さんは、「ドラゴンクエストシリーズ」の生みの親として有名なゲームデザイナー、シナリオライターです。

中学生のころは漫画家を夢見ていた堀井さんは、早稲田大学第一文学部に在籍中から、雑誌、新聞などのフリーライターとして活動を始めます。

その後、パソコンゲームにはまり自作し始め、1981年エニックス主催の「ゲームプログラミングコンテスト」で入賞したのをきっかけに、ゲームクリエイターの道に進みました。

1988年発売の「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」では社会現象を巻き起こし、ゲームクリエイターという職業が注目されるようになります。

以後、いわゆる「ドラクエ」のシナリオライターや開発統括指揮をとるなど、世界中のドラクエファンを感動させ続けています。

<主な作品>
・ドラゴンクエストシリーズ
・ポートピア連続殺人事件
・北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ほか多数

鈴木 裕(すずき ゆう)

岩手県出身の鈴木裕さんは、「セガ」を代表するアーケードゲームを多数手がけたことで有名な、ゲームクリエイター・ディレクター・プロデューサーです。

岡山理科大学理学部電子理学科を卒業後、セガに入社。テレビゲーム「チャンピオンボクシング」で、初めてディレクターを担当します。

大学生時代から3Dの研究をしており、入社後もゲームは自身のパソコン上で開発しているそうです。

1990年代後半からは、アクションアドベンチャーゲームの「シェンムー」を開発し、革新的なアイディアで多くのヒット作を輩出します。

2003年にはラスベガスにてHall of Fame栄誉賞を、2011年にはGDCパイオニア賞を受賞しました。

また、アメリカ歴史的博物館には、関係映像と資料が永久保存されるなど、パイオニアとしての実績と功績は、国内外で高い評価を受けています。

<主な作品>
・バーチャーファイター
・F355チャレンジ
・ハングオン ほか多数

野村 哲也(のむら てつや)

高知県出身の野村哲也さんは、「キングダムハーツ」のディレクターや、「ファイナルファンタジー」のキャラクターデザインを務めたことで有名なゲームクリエイターです。

幼少期から絵を描くことが好きだったという野村さんは、高校卒業後に上京してデザイン系の専門学校で広告デザインを学びます。

就職活動の際に、ゲームソフト開発・販売などを手がける「スクウェア・エニックス」の求人広告に描かれた、イラストレーターとして有名な天野喜孝さんの絵を目撃し、入社を決めました。

1997年発売のRPG「ファイナルファンタジーVII」では、天野さんの後継者としてキャラクターデザインを担当し、以来FFシリーズのキャラクターデザインを手がけています。

絵を描く際は特に専門的な画材は用いず、紙にシャープペンシルで書いたものをスキャンし、CGで彩色しているとのこと。

2020年発売予定の「ファイナルファンタジーVII リメイク」では、ディレクターとキャラクターデザインを担当しています。

<主な作品>
・キングダムハーツ
・ファイナルファンタジー
・武蔵伝II ブレイドマスター ほか多数

日野 晃博(ひの あきひろ)

福岡県出身の日野晃博さんは、社会的ブームとなった「妖怪ウォッチ」のストーリー原案から企画などを手がけたことで有名な、ゲームクリエイター・脚本家です。

幼いころからプログラミングやPCゲームに親しんでおり、「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」と出会ったことをきっかけに、ゲームクリエイターを目指すようになりました。

コンピューター専門学校に入学し、卒業後は「システムソフト」、「リバーヒルソフト」を経て、1998年に「レベルファイブ」を設立。

設立後、「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」のコンペに参加し、受注が決定します。

2004年11月に発売された同ゲームではディレクターを担当しました。

レベルファイブ設立当時を振り返り、「仲間たちとのケンカはあったものの、毎日を楽しく過ごしていたら、自然と結果がついてきた」と語っています。

2005年、福岡にあるゲーム開発会社を中心とした団体の会長に就任し、2017年には東京2020大会マスコット審査会の委員に就任するなど、幅広く活躍中です。

<主な作品>
・妖怪ウォッチ
・レイトン教授と不思議な町
・イナズマイレブン ほか多数

桜井 政博(さくらい まさひろ)

東京都出身の桜井政博さんは、「星のカービィ」の生みの親として有名なゲームクリエイター・ディレクターです。

5歳ごろからゲームに親しみ、ゲームの世界観に凄さを感じていたと言います。

漠然と電気工学系の高等専門学校に進学したものの、自身のイメージする将来像と結びつかなくなったため、普通高校に編入しなおしました。

1988年、セガ主宰のフ「ァンタシースターII」のストーリー募集に応募したところ、ゲームシステム大賞に入賞し、本格的にゲームクリエイターの夢を描くようになります。

1989年から2003年までをHAL研究所で過ごし、初のディレクター作品が「星のカービィ」でした。

退社後はフリーランスを経て、2005年に「有限会社ソラ」を設立し、数々の賞を受賞しています。

ディレクターとして開発を手がけた「大乱闘スマッシュブラザーズ」では、歌詞の日本語原案の作成や、キャラクターの声をあてるなど、持てる能力を惜しみなく発揮しました。

現役ゲームユーザーでもある桜井さんは、自身のツイッターやYouTube任天堂公式チャンネルで、コントローラーを片手にキャラクターの解説や使い方など、多くの情報を発信中です。

<主な作品>
・星のカービィ
・大乱闘スマッシュブラザーズ
・メテオス ほか多数

田尻 智(たじり さとし)

東京都出身の田尻智さんは、「ポケットモンスター」の生みの親として有名なゲームクリエイター・ライターです。

中学生時代に登場した「スペースインベーダー」にはまり、“ゲームセンターあらし”と呼ばれるほど、ゲームに没頭したと言います。

1983年、東京工業高等専門学校在学中に、当時はまだ少なかったゲーム攻略誌を執筆・販売委託し、ゲームフリーク(ゲームおたく)の間で飛ぶように売れました。

高専卒業後は、「ファミコン通信」などのゲーム情報ライターとして活動を開始します。

さらに、仲間とともに制作したゲーム「クインティ」をナムコに売り込んだところ、20万本以上もの売り上げにつながりました。

クインティの印税約5,000万円を資本金に、1989年に「株式会社ゲームフリーク」を設立します。

「ポケットモンスター」は設立直後に制作が開始されたものの、資金の問題から1996年にようやく発売にこぎつけ、空前の大ヒットとなりました。

現在はゲーム開発から退き、経営に専念しています。

<主な作品>
・ポケットモンスター
・ヨッシーのたまご
・スマホ向けアプリ ポケモンGO(原案) ほか多数

ゲームクリエイターのインスタ

ゲームクリエイターが発信するインスタは数少ないものの、有名なクリエイター2人がインスタに着手しています。

インスタは、世界中に自分の哲学や作品を、世界中にアピールできる絶好のツールです。

どのような内容が発信されているのか見てみましょう。

小島 秀夫(こじま ひでお)

2015年設立の「コジマプロダクション」代表で、ゲームクリエイター、ゲームデザイナーとして活躍する小島秀夫さんのインスタです。

小島さんをリスペクトするゲームユーザーからは、「あの小島さんがとうとうインスタデビューした!」と話題を呼びました。

2019年のフォロワー数は実に71万人を超えており、外国のフォロワーも多いのが特徴です。

小学生から映画好きだった小島さんは、将来は映画監督になる夢を持ち、芸術大学進学を考えていたものの、家庭の事情により断念せざるを得ませんでした。

経済学部に進学したのち「スーパーマリオブラザーズ」と出会ったのを契機にゲームクリエイターを目指すようになり、卒業後はコナミ(現・コナミデジタルエンタテインメント)に就職します。

初めての作品となる「メタルギア」ではステルスゲームのジャンルを切り開き、1998年の「メタルギアソリッド」は、世界的な大ヒット作品となりました。

インスタには、映画監督を目指していた小島さんらしく、「僕の体の70%は映画でできている」と記載されています。

幅広いジャンルの映画や本、海外で見た印象的なワンシーンが数多くアップされており、常に感性を磨き続けていることがわかります。

また、2019年11月8日発売予定で総監督を務める「Death Stranding」の名入りカップが動画でアップされていますが、外国の方との話し声が聞こえてきます。

まさに、世界を舞台に活躍する、有名なゲームクリエイターです。

増田 順一(ますだ じゅんいち)

「株式会社ゲームフリーク」取締役開発部長を務めるゲームクリエイター、増田順一さんのインスタです。

「ポケットモンスター」のゼネラルプロデューサー兼ディレクターを手がけ、作曲家やシナリオ、デザインも手がけています。

増田さんのインスタにはピカチュウも多く登場していますが、世界各地で行われるイベントやドイツの任天堂での取材風景など、ゲームクリエイターとしての仕事が多岐に渡ることがわかります。

ゲームクリエイターの仕事は、ゲームというバーチャル世界を通して、世界中の人々に喜びを与えられる仕事の1つです。

ゲームクリエイターの有名な人の活動やインスタなどを参考に、将来の仕事として検討してみてはいかがでしょうか。