数学者の有名な人【2020年版】

数学者として有名になるには

数学者の仕事は、数学における未解明の問題を研究・解決して実社会に還元することや、これまで気が付かなかった問題への解決に尽力するものです。

ほかにも、教育に従事したり子どもたちに数学への興味を持たせたりする役割もあります。

名を残した数学者たちは自ら有名になろうとしたわけではなく、研究成果や功績などが世界的に評価されたことで有名になっています。

大学や留学などで数学に対する知識を深めるのはもちろん、なんとしても問題を解決したいという情熱を持つことが、有名な数学者への1歩となるでしょう。

世界の有名な数学者

天才的頭脳で数学界に貢献してきた、世界の有名な数学者を5人紹介します。

ピタゴラス

ピタゴラス(紀元前582年~紀元前496年)は、今から2,500年以上前の古代ギリシャ時代の数学者・哲学者です。

ピタゴラスは「宇宙のすべては数から成り立つ」と宣言し、多くの数学的定理を発見しました。

もっとも有名なのは「ピタゴラスの定理」ですが、ピタゴラスは音程の研究もしており、「ピタゴラス音律」という音程と数比の関係を発見したともいわれています。

若いころにエジプトやイギリス、インドなど、世界の幾何学や天文学などを学んだことが、こうした定理の発見につながったようです。

エウクレイデス

エウクレイデス(紀元前330年ごろ)は、古代エジプトのギリシャ系数学者・天文学者です。

数学史上重要視されてきた著書「原論(ユークリッド原論)」は、20世紀初頭まで幾何学の教科書とされ、「幾何学の父」と称されています。

線の定義のほか、球面天文学や光学、図形分割論などの著述も残しているようです。

時代が古いためエウクレイデスの生涯は不明ですが、16世紀後半にはイエズス会を通じて中国の明に伝えられた、といわれています。

アルキメデス

アルキメデス(紀元前287年ごろ~紀元前212年)は、古代ギリシャの数学者・物理学者・天文学者で、発明家としても有名です。

もっとも有名な「アルキメデスの原理」は、風呂に浸かっている際に「体積分だけ水面が上昇する」ことにヒントを得て見つけ出しました。

「アルキメディアン・スクリュー」と名付けた装置の考案で工学分野にも業績を残し、現代の石炭粒などの固体を搬送する手段にも応用されています。

また、17世紀の偉大な天文学者であるガリレオ・ガリレイはアルキメデスの著書などを学び、科学論文「小天秤」を発表するなど、後世まで大きな影響を与えています。

レオナルド・フィボナッチ

レオナルド・フィボナッチ(1170年ごろ~1250年ごろ)は、中世のイタリアで活躍した有名な数学者です。

もっとも有名な業績として「フィボナッチ数列」が挙げられますが、すでに6世紀ごろのインドの数学者の間で知られていたものを、西洋の数学界に初めて紹介したといわれています。

エジプトやシリア、ギリシャで学んでいた際、当時使われていたローマ数字よりもアラビア数字のほうが数学界により便利であることに気付きます。

その後、32歳で「算盤の書」を出版し、ヨーロッパにアラビア数字を導入しました。

アレクサンドル・グロタンディーク

アレクサンドル・グロタンディークさん(1928年~2014年)は、ドイツ出身のユダヤ系フランス人で、主にフランスで活躍した現代の数学者です。

主な業績として、スキームの考案による代数幾何学の大幅な書き直しやホモロジー代数、ヴェイユ予想への貢献、遠アーベル幾何学の提唱などがあります。

高校時代に数学に魅了されたグロタンディークさんはモンペリエ大学、ナンシー大学を経て、フランスの数学者デュドネの元で研究に携わります。

1966年には数学のノーベル賞といわれる「フィールズ賞」を受賞しています。

日本の有名な数学者

江戸時代、近代に貢献した数学者や現在活躍中の数学者など、日本の有名な数学者を7人紹介します。

数学者として有名な人はどのような経歴を持つのか、功績なども併せてみていきましょう。

関 孝和(せき たかかず)

関孝和(不明~1708)さんは江戸時代の有名な数学者で、日本数学史上最高の英雄とも称されています。

算木を使って高次方程式を解く、13世紀の中国で発展した天元術(てんげんじゅつ)に改良を加え、数式表現をシンプルにした「点竄術(てんざんじゅつ)」を発明しました。

また、円周率を小数第11位まで算出し、もともと取り組んでいた暦の研究に役立てました。

のちに、中国の模倣であった和算を高等数学に発展させるため、その基礎となる筆算や代数の計算法を発明したことでも有名です。

同じ時代を生きたイギリスのニュートンやドイツのライプニッツとともに、世界3大数学者として讃えられています。

菊池 大麓(きくち だいろく)

菊池大麓(1855~1917)さんは、明治から大正時代にかけて活躍した有名な数学者です。

蘭学者の父を持ち、現在の東京大学の前身である蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で英語を学び、イギリス・ケンブリッジ大学を卒業した初めての日本人留学生となりました。

同大学で数学と物理学学位を取得しての帰国後の1877年、東京大学理学部教授に就任しています。

近代数学を初めて日本にもたらした人物であり、貴族院議員、枢密顧問官を歴任しました。

1902年には男爵を授爵(じゅしゃく)。東大、京大の総長を務めたほか、1917年に初代理化学研究所所長を務めた人物です。

高木 貞治(たかぎ ていじ)

高木貞治(1875~1960)さんは、類体論において「高木の存在定理」と呼ばれる定理を証明したことで有名な数学者です。

東京帝国大学理科大学(現・東京大学理学部)数学科卒業後、ドイツで3年間留学した際には「現代数学の父」と呼ばれたヒルベルトに師事して大きな影響を受けます。

1900年に同大学の助教授となり(1904年から教授)、定年退官の1936年まで務め上げました。

戦時下の1937年、海軍技術研究所からの依頼を受け、暗号機「九七式印字機」の規約数計算に協力します。

1936年に作られた第1回フィールズ賞の選考委員も務めるほか、1940年には文化勲章を授与され、1951年には文化功労者の顕彰を受けています。

岡 潔(おか きよし)

岡潔(1901~1978)さんは、発展途上であった多変数解析関数の分野で、世界的な業績を残した有名な数学者です。

非常に困難の伴う研究領域で孤高の研究生活に身を投じ、果敢に開拓した人物として高く評価されています。

1925年、京都帝国大学理学部卒業(現・京都大学大学院理学研究科・理学部)を卒業し、同年4月から同校の講師として教鞭をとりました。

1929年、フランスに留学。1936年に帰国した後は、多変数解析関数の分野における3大問題を独力で解決して世界の数学者を驚嘆させました。

ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の恩師でもあり、教育者としても活躍した人物です。

伊藤 清(いとう きよし)

伊藤清(1915~2008)さんは、確率論における「伊藤解析」を考案したことで有名な数学者です。

数学分野以外にも物理学や工学、生物学などにも応用される画期的な業績に対し、「日本で最も優れた数学者」と称されました。

1938年、東京帝国大学理科大学(現・東京大学理学部)数学科を卒業後、当時の大蔵省銀行局、内閣統計局を経て、1943年から名古屋帝国大学助教授を務めます。

米国プリンストン高等研究所研究員や、デンマーク国オーフス大学教授などを歴任しました。

受賞歴も多く、1978年度日本学士院賞恩賜賞、 1987年度ウルフ賞数学部門、 1998年度京都賞基礎科学部門など、国内外の賞を授与しています。

2006年、 国際数学連合(IMU)創設のガウス賞において、第1回受賞者となりました。

秋山 仁(あきやま じん)

秋山仁(1946~)さんは、数学の伝道師と称される有名な数学者です。

東京理科大学理学部第一部応用数学科卒業、上智大学大学院理工学研究科数学専攻修士課程を修了しています。

その後は、ミシガン大学数学客員研究員、東京理科大学教授、文部省教育課程審議会委員などを歴任。

学生時代にはバーテンダーや肉体労働など、数学者としては異例とも思える仕事を経験しているだけでなく、アコーディオン奏者としての一面も持っています。

現在は、東京理科大学理数教育研究センター長、数学体験館館長などを務めるほか、小・中・高校生向けに数多くの著書を発刊し、数学の魅力や楽しさを伝道しています。

望月 新一(もちづき しんいち)

望月新一(1969~)さんは、35年間未解決だった「ABC予想」を証明したことで有名な数学者です。

1988年にブリストン大学数学科を卒業。1992年に同大学院数学家博士課程を修了後、京都大学数理解析研究所に在籍。

2020年4月、2012年に発表した600ページにもおよぶ論文「ABC予想」の正しさが証明され、「ノーベル賞の1つや2つでは足りない」「数百年に1回の革命的な成果」と称賛されています。

望月氏を指導教員に志望する学生や受験生たちには、次のような予備知識が求められるとのこと。

  • 代数位相幾何の基礎的な知識(=基本群や特異コホモロジー)
  • リーマン面の基礎的な知識(=line bundleやRiemann-Rochの定理)
  • 可換環論やスキーム論の基礎的な知識(「松村」、「Hartshorne」を参照)

将来数学者を目指すみなさんも、日本人の有名な数学者を手本としながらも、独自の視点で研究に取り組んでください。