数学者で有名な人は? 歴史的な天才数学者や日本の数学者も紹介

数学は、人々の頭の中にあるアイデアや創造力を最大限に引き出す学問です。

ピタゴラスやアルキメデスなど、世界的な数学者が歴史を変えてきましたが、日本にも有名な数学者が大勢います。

この記事では、数学のすばらしい歴史や日本の数学者たちの業績に焦点を当て、わかりやすく説明していきます。

数学者として有名になるには

数学者の仕事は、未だ解明されていない数学の問題を研究し解決すること、そして、得た成果を実社会に還元することです。

また、これまで気づかれていなかった問題を発見し、解決策を見つけるために努力します。

さらに、数学者には教育の役割もあります。

彼らは教育に携わり、子どもたちに数学への興味を持たせることに努めます。

有名な数学者たちは、自分たちが有名になろうと意図的に努力したわけではなく、彼らの研究成果や功績が世界的に認められることで、結果として有名になったのです。

数学者になるためには、大学や留学などで数学の知識を深めるだけでなく、問題を解決したいという情熱を持つことも重要です。

この情熱が、有名な数学者になるための一歩となるでしょう。

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世界の有名な数学者

天才的頭脳で数学界に貢献してきた、世界の有名な数学者を6人紹介します。

ピタゴラス(紀元前582年~紀元前496年)

ピタゴラスは、今から2500年以上前の古代ギリシャ時代の数学者・哲学者です。

「ピタゴラスの定理」として知られる重要な発見をした人物としてよく知られています。

直角三角形において直角を挟む二辺の長さをaとb、斜辺の長さをcとすると、a² + b² = c²という関係が成り立つことを証明しました。

これは、直角三角形における三辺の関係を表す重要な法則で、この定理は幾何学だけでなく、物理学や工学などさまざまな分野で広く応用されています。

また、数学の他にも哲学や宗教的な信念も持ち、ピタゴラス学派として知られる学問の一派を形成しました。

彼の思想は数学の基礎を築く重要な要素となり、その影響は古代から現代に至るまで続いています。

エウクレイデス(ユークリッド)(紀元前330年ごろ)

エウクレイデス(ユークリッド)は、古代エジプトのギリシャ系数学者・天文学者で、幾何学の父とも称されます。

彼の最も有名な業績は「原論(ユークリッド原論)」と呼ばれる著書です。

これは数学的な公理や定理を体系的にまとめたものであり、古代から現代まで数学の基礎として広く用いられ、西洋では聖書についで読まれてきた書物であると言われています。

線の定義のほか、球面天文学や光学、図形分割論などの著述も残しているようです。

時代が古いためエウクレイデス本人についての記録は残っていません。

しかし15世紀の画家・ラファエロが描いた「アテナイの学堂」という壁画の中で、コンパスを持って黒板に図形を描いているエウクレイデスが描かれています。

アルキメデス(紀元前287年ごろ~紀元前212年)

アルキメデスは、古代ギリシャの数学者・物理学者・技術者であり、幅広い分野で多くの重要な業績を残しました。

もっとも有名な「アルキメデスの原理」は、風呂に浸かっている際に「体積分だけ水面が上昇する」ことにヒントを得て見つけ出しました。

この原理は浮力や沈没の現象を理解する上で基礎となり、船の設計や水中の物体の挙動に関する理解に大きな貢献をしました。

また、17世紀の偉大な天文学者であるガリレオ・ガリレイはアルキメデスの著書などを学び、科学論文「小天秤」を発表するなど、後世まで大きな影響を与えています。

レオナルド・フィボナッチ(1170年ごろ~1250年ごろ)

レオナルド・フィボナッチは、中世のイタリアで活躍した有名な数学者で、「フィボナッチ数列」という数列を発見しました。

フィボナッチ数列は、最初の二つの項が1で始まり、それ以降の項は直前の二つの項の和となる数列です。

6世紀ごろのインドの数学者の間で知られていたものを、西洋の数学界に初めて紹介したといわれています。

フィボナッチ自身は『リベラ・アブアキダリウム』(Liber Abaci)という著書でフィボナッチ数列を紹介し、当時のヨーロッパでの数学の発展に大きな影響を与えました。

その後、32歳で「算盤の書」を出版し、ヨーロッパにアラビア数字を導入しました。

ピエール・ド・フェルマー(1607年~1665年)

ピエール・ド・フェルマーは、フランスの法律家であり、アマチュアの数学者でもありました。

とくに「フェルマーの最終定理」として知られる定理で有名です。

フェルマーの最終定理は、彼が自身のノートに書き残したもので、長い間解明されない謎とされてきました。

この定理は、a^n + b^n = c^n(ただし、a、b、c、nは整数でnは2より大きい)という方程式には整数の解が存在しないと主張しています。

フェルマー自身は定理の証明を残していなかったため、その証明は非常に困難で、数学者のアンドリュー・ワイルズによって1994年に解かれるまで証明されませんでした。

先進的な数学的手法を駆使してフェルマーの最終定理を証明したことで、これまでの数学の常識を覆す結果となり、これはワイルズの重要な業績となりました。

アレクサンドル・グロタンディーク(1928年~2014年)

アレクサンドル・グロタンディークは、現代の数学者で、特に代数幾何学の分野で革新的な業績を残しました。

彼の業績は「スキーム理論」と呼ばれる概念です。

スキーム理論は、代数幾何学における代数的な対象をより広い範囲で捉えるための枠組みを提供しました。

これにより、幾何学的な対象を代数的な方法で研究できるようになり、新たな洞察と結果が生まれました。

1966年には数学のノーベル賞といわれる「フィールズ賞」を受賞しています。

ただし、グロタンディークは公の場から引退し、数学界から遠ざかってしまったため、数学の専門家の間で高く評価されていますが、一般的な知名度は限られています。

日本の有名な数学者

江戸時代、近代に貢献した数学者や現在活躍中の数学者など、日本の有名な数学者を7人紹介します。

数学者として有名な人はどのような経歴を持つのか、功績なども併せてみていきましょう。

関孝和(不明~1708)

関孝和(せきたかかず)は、江戸時代の有名な数学者で、日本の数学の発展に大きな貢献をし、日本数学史上最も重要な数学者の一人とされています。

最も注目されるのは、高度な代数的手法を用いた方程式の解法です。

彼は多項式の因数分解や解の公式を発見し、高次方程式の解を求める方法を開発しました。

また、幾何学の分野でも円や楕円などの曲線を研究し、それらの性質や関連する問題を解明しました。

さらに、円周率を小数第11位まで算出し、もともと取り組んでいた暦の研究に役立てました。

同じ時代を生きたイギリスのニュートンやドイツのライプニッツとともに、世界3大数学者として讃えられています。

菊池大麓(1855~1917)

菊池大麓(きくちだいろく)は、明治から大正時代にかけて活躍した有名な数学者です。

特に数学教育の分野で重要な役割を果たし、日本の数学教育改革の先駆者として知られています。

とくに知られているのは、「菊池大麓定理」と呼ばれるものです。

この定理はグラフ理論や数学的帰納法の応用に関連するもので、日本の数学界において大きな評価を受けました。

さらに、彼は数学の普及のために数多くの教科書や解説書を執筆し、初等・中等教育の数学カリキュラムの充実に努めました。

また、数学教師の育成にも取り組み、教育者の質の向上を図るために教員養成施設の設立や教育方法の改革を提唱しました。

高木貞治(1875~1960)

高木貞治(たかぎていじ)は、とくに代数的整数論の分野で重要な業績を残した数学者です。

彼は代数体のガロア拡大とガロア群の理論を研究し、数論の基礎を築いた一人として知られています。

「高木の指数予想」と呼ばれる予想でガロア群の部分群の指数と拡大次数の関係を明らかにし、多くの研究者によって研究されました。

その後、この予想はジャン=ピエール・セール(Jean-Pierre Serre)によって証明され、セール-高木の定理として知られるようになりました。

1936年に作られた第1回フィールズ賞の選考委員も務めるほか、1940年には文化勲章を授与され、1951年には文化功労者の顕彰を受けています。

岡潔(1901~1978)

岡潔(おかきよし)は、群論や表現論の分野で重要な業績を残した数学者です。

表現論は、群の構造とその線型表現の関係を研究する分野であり、物理学や量子力学などの応用にも重要です。

彼は表現論の理論を発展させ、群の表現の構造や性質を深く理解するための手法や定理を提案しました。

また、数学教育にも力を注ぎ、数学教育の改革に取り組み、「大学数学」の教科書を執筆し、数学の基礎的な概念や応用についてわかりやすく解説しました。

これにより、多くの学生や教育者に数学の理解を深める機会を提供しました。

ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の恩師でもあり、教育者としても活躍した人物です。

伊藤清(1915~2008)

伊藤清(いとうきよし)は、確率論や確率過程の分野で重要な業績を残した数学者で、確率解析の基礎を築き、数学と統計学の間の橋渡し役となりました。

彼の業績の中で最も著名なものは、確率微分方程式の一つである「伊藤の補題」です。

この補題は確率微分方程式の解の性質に関するものであり、確率論や金融工学などの応用分野で広く活用されています。

また、確率過程という数学の分野でも重要な貢献をしました。

ブラウン運動と呼ばれるランダムな変動を表す数学的モデルを研究し、確率過程の基礎を築きました。

受賞歴も多く、1978年度日本学士院賞恩賜賞、 1987年度ウルフ賞数学部門、 1998年度京都賞基礎科学部門など、国内外の賞を授与しています。

2006年、 国際数学連合(IMU)創設のガウス賞において、第1回受賞者となりました。

秋山仁(1946~)

秋山仁(あきやまじん)は、数学の伝道師と称される有名な数学者で、とくに無理数の研究で知られています。

無理数とは、整数では表せない実数であり、その性質や分布についての研究が行われます。

彼は、無理数の分数近似や繰り返し小数の性質、無理数の連続分数展開などに関する研究を行ってきました。

また、数論幾何学においても円周上の有理点や楕円曲線の有理点の分布についての研究にも力を注いだ人物でした。

そのほか、小・中・高校生向けに数多くの著書を発刊し、数学の魅力や楽しさを伝えています。

望月新一(1969~)

望月新一さん_画像
出典:時事ドットコム

望月新一(もちづきしんいち)は、代数幾何学や算術幾何学の分野で活躍し、とくに「テオリアインターアレイジング」と呼ばれる研究成果で知られています。

最も注目すべき業績は、「abc予想」と呼ばれる数論の問題です。

この予想は、aとbが互いに素な自然数であり、a + b = cを満たすような三つ組(a, b, c)に対して、cが一般的に小さな素因数を持つ傾向があることを主張しています。

望月新一の理論は、この予想を証明する可能性があるとされており、数学界で大きな注目を浴びています。

ただし、彼の研究成果は非常に高度で複雑なものであり、専門的な数学者にとっても理解が困難な部分があります。

そのため、その理論や研究成果の詳細については数学界での議論が続いており、完全な理解や評価はまだ進行中です。

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「世界・日本の有名な数学者」まとめ

数学者は、未解決の問題を研究して解決したり、社会に役立つ応用をするための研究をすると同時に、数学の教育にも関わり、人々に数学の面白さや役立ちを伝える役割も担っています。

有名な数学者は、自分の研究の成果や功績によって評価されることで名声を得ています。

数学者として活躍するためには、広い知識を身につけるだけでなく、問題解決に対する飽くなき情熱も必要です。