毎日がドタバタ喜劇の日本語教師(体験談)

多国籍の生徒を教える難しさ

実際に日本語教師として教壇に立つ前、私は「自分にはできる」という自信がありました。

前職は別分野の講師であり、養成講座の模擬授業でもお褒めの言葉をもらうことが多かったからです。

ですが、その自信は就職した第一回目の授業で粉々に打ち砕かれました。矢継ぎ早に来る質問。日本人よりも喜怒哀楽がはっきりしている学生たち。

「わかりません!」「ぜんぜんわかりません!」日本人なら説明しなくてもわかるようなことを、限られた語彙だけを使って、さまざまな例文を駆使して伝えます。

しかし予想を裏切る反応が返ってきて、「先生、漢字!漢字!」という「漢字コール」が始まります。

私の勤めている学校は8割が中国人です。漢字を書けば一回で伝わります。ですが非漢字圏出身の生徒もいます。ベトナム、ロシアなどは英語も通じません。

ですから、日本語だけで日本語を教えるという直説法という教授法を取り入れています。漢字を使って中国人にだけに理解が増しては非漢字圏に不公平です。

しかし、わからないという事で教室中が中国語で大騒ぎになっています。彼らには私が直説法で教えようとしていることなどどうでもいいことです。

ただわかろうとして興奮しているだけです。「先生! 漢字!!」

私は非漢字圏に隠れるように、ホワイトボードの隅に漢字を書きました。すぐに騒ぎはおさまりました。これが私の一回目の授業でした。

語彙コントロールの必要性

初級のクラスでは特に語彙コントロールが必要です。習っている語彙だけで会話をするのです。

そのために教科書をよく見ておくことは必須です。

「主人」という語彙は既習でも「夫」という語彙が未習ですと、「夫」という語彙を使っただけで会話が通じなくなることはよくあります。

つまり、「夫と新宿へ行きます。」と言うと、「おっとってなに?」「おっとってなに?」というざわめきが起こり、漢字コールが始まるのです。

「新宿“へ”行きます」と教えたのに「新宿“に”行きます」などと言ってしまえばまた質問の嵐です。

「“夫”と新宿“に”行きます。」は騒動を起こしますが、「“主人”と新宿“へ”行きます。」は何ごとも起こりません。

普段自分が使い慣れている言葉をわきに置いて、教えたものだけで会話を進めます。

初めは奇妙な会話も、きちんと語彙をコントロールし、少しずつ語彙やフォーム、文型を増やしていけばだんだん会話が可能になってきます。それが面白いところです。

苦心惨憺の語彙テスト

そんな彼らには語彙だけのテストがあります。「花」のイラストの横にマスが2つあり、そこに「はな」と書くようなテストです。

ある時のテストに、「ポテト」のイラストがかいてありました。マスは7つです。ほぼ全員がそれを「ポテト」と発音するとわかっています。普段の会話でも使っていることと思います。

でもマスは3つではありません。7つです。日本人の私にとっても、なぞなぞのような問題が出ることがあります。しかし教科書には書いてあるのです。「フライドポテト」と。

こんな日の採点は苦心惨憺のあとが見える採点となります。「ふらいポテイト」「ふらいどポテイ」・・・。こんな回答は日常茶飯事で、笑いながら採点をします。

一つひとつ語彙、文型が大事

「フライドポテト」この語彙がわからなくても日常生活は成り立ちます。「フライドポテト」と書けたからといって、日本語が話せるようになるとは限りません。

それでも、こうやって一つひとつ語彙を覚え、一つひとつ文型を増やしていくと、彼らと会話することができるようになってきます。

一番嬉しいのは、彼らと意思疎通ができるようになることです。それまでお互いの間にあったフラストレーションが一気に減ります。

心が通じ合ったかのように思えて、嬉しくてたくさん話します。それを思うと一つひとつの語彙、一つひとつの文型を教えることがとても大切なものに思えてきます。