保育士を辞めたくなったとき(体験談)

保育士を辞めたくなったとき

保育士になって7年の間に「もう駄目。辞める」が、2回ありました。

その1…3才児の偏食矯正は、強制!

「食べなさい」50代の先輩保育士が鋭く、短く、よしえちゃん(仮名)に投げつけた言葉。

よしえちゃんといえば、ぎゅっと、固く口を結び、膝のうえの硬く握られたこぶしは、如実に彼女の意思を語っていました。「シイタケもニラも嫌い。いらない」と。

3才で入園したよしえちゃんは、体格がよく、年長児と見まごうほど、体格の良さでした。

「この子、ご飯とお肉が大好き。それに、ポカリスエットも」ですって。面接でそれを聞き、何の問題を感じることなく「ホホホ…」と嬉しそうに笑う母親に、私はのけ反るほど驚きました。

いよいよ給食が始まりました。「食べなさい」と、先輩。よしえちゃんといえば泣くことはないのですが「むっ」と、口を固く結び、、だんまりを決め込んでいます。

私はといえば先輩の強引な食事指導のありように、大いなる疑問を持ちつつ、「あぁ、どうしよう、どうしたらいいんだろう」と何もできない自分が悲しかったのです。

「はいはい、よそ見しないで」と、他の子の食事指導に気をとられ、気付かないふりをしつつ、給食の時間がつらく感じました。

入園後、1週間が過ぎたころ、意を決し「食事の無理強いは、逆効果ではないでしょうか…。体を動かす遊びをたくさんし、空腹にして…。」と言いました。

先輩の細い目、その眼尻がキリキリと上がり「なに、私の指導が悪いって言うの!あんなにぶくぶく太っている子に野菜を食べさせないで、どうするの!成人病の予備軍よ。放っておいて、責任とれるの、あなたに!」厳しい言葉を受けました。

「責任が取れるか!」と詰め寄られ、たじたじとしつつ、先輩の論理の飛躍に唖然ぼう然。成すすべもなく、すごすごと引き下がるしかない私「辞めたい」心底、思いました。

その2…自由・放任保育 VS 規律重視の一斉保育

4才児を40代の先輩と担当したときでした。お隣の3才児クラスは、笑顔の絶えない30代のおっとり風先輩と私と同年代の保育士。若い2人は「お隣同士仲良く、がんばろうね!」と。

4月の半ばころ、30代と40代の保育士の戦争が勃発しました。

怒鳴り合い、いがみ合う姿に「ここが、子供の心身の発達を保証する場なのだろうか?」と。また「保育観の違いは、埋め難いものなのだろうか?」と。

そもそもが、こうです。3才児担当の「おっとり保育士」は、「子どもは心のままに自由にすべき!」と自由保育が持論です。

40代のバリバリ保育士は「どんなに幼くても、規律は必要よ。躾がなされないって、動物以下よ。」と。

各年齢ごとに「デイリープログラム」があります。大まかな一日の日程表とでも言いましょうか。登園し、

各自好きな玩具で遊び、10時前後に「片付け」をし、散歩や絵画活動など計画にのっとった一斉保育に移行します。

計画はしていても、遊びを中断することが賢明ではないと判断したら、継続もありです。

しかし、3才児の担任は、自由保育(子どもの自主性を重んじる保育)を良しとしていますので、保育士の一方的な「片付け」は、原則なしです。

「廊下で遊んではいけません」などの規制もなし。

あるとき、廊下におままごと用のお鍋やお皿が散乱していました。危険ですしなにより通行の邪魔なので、「お部屋で遊んでね」声を掛けつつ、お鍋類を片付け始めた私に、保育室からか顔をのぞかせ「いいの、そのままで」と30代の先輩が言ったのです。

信念のこもった、断固とした「いいの」の一撃に「廊下に散乱していると危ないと、思う…」の言葉を〝ごっくん〟飲み込んだ私です。

そこに居合わせた40代の先輩の「呆れたわね! 廊下は無しよ。遊ぶ所じゃないでしょ」との大声を無視し、「いいのよ」と、園児に声をかけたのですから、驚きです。

「自由と放任の吐き違いでは?」30代の先輩に疑問を感じつつ、「計画は、絶対」頑なな40代の先輩にも違和感を感じたのです。

「?」と感じつつ、すごすごと引き下がる自身の軟弱さに「辞めたい」と、心底、思いました。この時も。