考古学者の有名な人

考古学者を志すにあたって、お手本にすべき人や目標を探している人もいるでしょう。

本記事では、2020年現在の考古学会をリードする人達を紹介します。

考古学者に求められるもの

考古学者として必要な専門的知識を得るには、史学科や歴史学科など考古学を学べる大学や大学院で学ぶのが一般的です。

また、発掘調査を中心とするフィールドワークでは、暑さや寒さ、悪路など過酷な環境が想定されるため体力も求められます

さらに、長年調査しても見合った成果や評価されないこともあり、強い探求心や粘り強さとともに強い情熱が必要な仕事です。

20代で正社員への就職・転職

20代で正社員への就職を目指す(PR)

「Re就活エージェント」は、第二新卒・既卒・フリーター・ニート向けサービス。20代未経験OKの求人が多数。

20代登録比率No.1

考古学者の有名な人

日本の考古学界をリードしてきた第一人者をはじめ、海外の有名な考古学者を紹介します。

考古学者の有名な人は、どのような調査や活動をしているのか見ていきましょう。

吉村 作治(よしむら さくじ)

吉村作治さんは、エジプト美術考古学や比較文明学を専門とする、日本におけるエジプト考古学の第一人者です。

1964年、早稲田大学第一文学部に入学。1966年にはアジア初の早稲田大学エジプト調査隊を組織して、エジプトでの発掘調査を開始します。

非常に珍しい「親子のミイラ」が埋葬された墓や、ラムセス2世の孫王女の墳墓、太陽の船などを発見し、エジプト考古学史上に大きな進展をもたらしました。

早稲田大学人間科学部助教授や国際教養学部教授、日本初の完全インターネット大学「サイバー大学」の初代学長などを歴任し、現在は東日本国際大学の学長を務めています。

青柳 正規(あおやぎ まさのり)

青柳正規さんは、イタリアを拠点に活動するギリシャ・ローマ考古学者として有名です。

東京大学文学部美術史学科を卒業し、同大学院修士課程修了後にローマ大学へ留学。ポンペイ遺跡の発掘に携わりました。

1977年、東京大学文学部ポンペイ遺跡発掘調査報告の「エウローパの船の家」で地中海学会賞受賞。1991年には著書「古代都市ローマ」でマルコ・ポーロ賞を受賞。

2008年に国立西洋美術館長、2013年7月から2016年4月に第21代文化庁長官を歴任し、現在は奈良県文化政策顧問や県立橿原考古学研究所長として活躍しています。

西谷 大(にしたに まさる)

西谷大さんは、東アジア文化人類学民俗学を専門とする、有名な中国考古学者です。

1984年、熊本大学文学部史学科を卒業し、同大学院文学研究科史学専攻修士課程(1986年単位取得退学)。1989年まで中華人民共和国中山大学人類学系に留学しています。

主に、中国人の自然と食の関係について研究しており、1999年には中国・海南島に住む少数民族の調査を手がけ、2003年からは中国・雲南省に住むハニ族やイ族の調査を行いました。

「食べ物と自然の秘密/小峰書店」「ニセモノ図鑑:贋作と模倣からみた日本の文化史/河出書房新社」などを発刊するほか、2020年4月から国立歴史民俗博物館長を務めています。

高島 忠平(たかしま ちゅうへい)

高島忠平さんは東洋史を専門とする考古学者で、「吉野ケ里遺跡」の発掘調査を指揮したことから「ミスター吉野ケ里」と称されています。

1964年、熊本大学法文学部文科東洋史専攻を卒業後、奈良国立文化財研究所を経て佐賀県教委庁文化課、佐賀県教育庁教育委員会事務局の副委員長および県立名護屋城博物館館長に就任します。

1986年から吉野ケ里遺跡の発掘調査、保存整備の計画・指揮をとり、佐賀女子短期大学の教授や同大学の学長に就任するほか、学校法人旭学園の理事長を務めました。

「邪馬台国九州説」に基づいた著書を数多く手がけ、各地で開催される講演会でも活躍中です。

ハイラム・ビンガム3世

ハワイ出身のハイラム・ビンガム3世(1875年-1956年)さんは、世界遺産として有名なペルーの「マチュ・ピチュ遺跡」を発見した考古学者です。

1905年、ハーバード大学で歴史学と政治学における学位を取得し、イェール大学で南アメリカの歴史を専門に教鞭をとりはじめます。

インカ時代の都市に興味を抱いたことを契機に、1911年イェール大学ペルー探検隊を組織し、同年にマチュ・ピチュ遺跡を発見しました。

第一次世界大戦により考古学者から軍人に転向し、アメリカ陸軍航空隊学校の運営に携わるほか、政治家としても活躍しました。

ハワード・カーター

イギリス出身のハワード・カーターさんは、世紀の発見となった「ツタンカーメン王の墓」を発見したエジプト考古学者です。

ツタンカーメン王の墓の発掘調査は、20世紀におけるエジプト考古学史上最大の発見といわれています。

17歳のころに遺跡発掘現場の助手としてエジプトに渡り、長きに渡って発掘調査を続けます。

カーナヴォン卿の援助を受け、1916年から王家の谷の発掘調査に着手。援助契約が切れる1922年にツタンカーメン王の墓を発見しました。

しかし、高等教育を受けていないことから、当時の学会では高い評価を受けることはなく、晩年になってようやく余裕のある研究生活を送ることができました。

有名な考古学者のまとめ

考古学者の有名な人を6人紹介しました。

考古学者になるための資格こそありませんが、基本的な収集や保管、調査研究方法などを身につけるためにも、大学での基礎学習や学芸員資格を取得することをおすすめします。