プロレスラーのつらいこと・大変なこと・苦労
プロレスラーのつらいこと・大変なこと
怪我が多く、死亡事故もある
プロレスは競技の性質上、非常に危険な職業です。
練習や試合中に怪我を負うことが多いのはもちろん、命を落とす事故も起きてしまうことがあります。
格闘技の基本の一つである受け身のうまさで有名だった人気プロレスラーの三沢光晴でさえ、長年にわたって首にダメージを受け続けた結果、骨が変形して首が正しく曲がらなくなっていました。
そして、試合中にバッグドロップを受け損ない、頸髄離断の致命傷を負って命を落としました。
この死亡事故はニュースとしても大きく報道されましたが、プロレスラーが危険と隣合わせであることをよく示しています。
プロレスラーになるには、つねに危険がつきまとうという認識と覚悟が必要です。
プロボクサーやレーサー、スタントマン、パイロットなどとともに社会的にも「危険な職業」の一つに数えられています。
1990年以降はリングでの死亡事故も発生
残念ながら過去には、リングの上で受けた技が直接の原因となった死亡事故も複数起きています。
戦後、プロレスはプロ野球と並ぶ人気スポーツとして日本でも愛されてきましたが、1980年代までは試合中の死亡事故は一件も起きていませんでした。
そのころまでのプロレスはレスラーがお互いに間合いを取り合い、相手の体に過度な負担がかかる技は用いないという暗黙の了解があったため、死亡に至る事例が発生することはありませんでした。
しかし、1990年代に入ると次第に過激なパフォーマンスを求める方向へとプロレスは変わっていき、受け身の取りにくい非常に危険な技も度々用いられるようになりました。
その結果、1990年以降は日本国内でも試合中の死亡事故が続くことになりました。
衝撃を与えた三沢光晴の死
日本のプロレスにおける初めての死亡事故は1997年8月、JWP女子プロレスの試合中に起きています。
プラム麻里子が尾崎魔弓のライガーボムという技を受けて意識不明となり、救急搬送されて開頭手術を受けたものの、翌日に脳挫傷および急性硬膜下血腫による急性脳腫脹のため死亡しました。
その後、1999年と2000年にも男女それぞれで一件ずつの試合中の死亡事故が発生しており、2009年にはプロレス界のスターの一人であった三沢光晴が試合中に死亡して大きな話題となりました。
三沢以降は試合中に受けた技が直接の原因となっての死亡事故は発生していませんが、試合後に体調不良をうったえて死亡した例や練習中の体調不良や事故による死亡事故は他にも起きています。
レスラー一人ひとりの注意だけでは防げない面もあるだけに、リング上での安全対策はプロレス界全体の大きな課題となり、二度と起こらないようにさまざまな対策がされています。
危険な職業であるため保険に加入できない
プロレスラーは「危険な職業」とされているため、基本的には健康保険や生命保険にも加入できません。
加入できたとしても、掛け金がものすごく高かったり、プロレスに関わる負傷や病気は保険の適用外となることもあります。
そのため、ケガや病気で長期離脱すれば医療費はかかるのに保険金はなく、さらには収入も激減することになり苦しい状況となることもあります。
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プロレスラーの悩み・よくある怪我
プロレスラーらしい体をつくると自然と体重が増えますが、そのためにヒザや足首に負担がかかって持病を抱える人が少なくありません。
プロレスではマットに叩きつけられたり、打撃系の技を受けたりすることが多いため、首やヒジ、腰などに慢性化した痛みを感じる人も多いです。
手術を繰り返しながらプロレスを続けた結果、ヒジやヒザの関節がしっかりと曲がらなくなる人や、反対に関節が伸びなくなる人もいます。
とくに関節が故障するとスピーディーに動けず、プロレス技がスムーズにかけられなくなります。
これを放っておくとプロレスラーとして満足な試合ができなくなるだけに、日頃から体のケアには細心の注意が必要です。
最近は体のケアとトレーニングのバランスを考え、自分の肉体をしっかりと管理するプロレスラーが増えています。
若いときから体調の管理を意識的に行い、体の痛みや違和感に敏感でなければ、選手生命は短くなってしまいます。
プロレスラーを辞める理由で多いものは?
体力的に負担の大きい職業ですから、プロレスラーのピークは30代の前半といわれています。
50歳をすぎても現役として試合に出ているプロレスラーもいますが、そういった人はカリスマ的な存在のスター選手に限られます。
プロレス界には引退後の職業を紹介してくれるような組織はなく、基本的には解説者やコーチとして雇ってくれるところもありません。
多くのプロレスラーは40歳前後で引退すると、自分で新たな仕事を見つけなければなりません。
人気プロレスラーのなかにはタレントや実業家に転身する人もいますし、自分でプロレスラーの養成所や飲食店などの事業をはじめる人もいます。
次の仕事が見つからなければ、地方の小さなプロレス団体を転々として試合に出続けることを選択するプロレスラーもいます。