新聞記者のやりがいを感じたとき(体験談)

新聞記者を目指した動機

私は大学3年生の頃から、ジャーナリストを志望し、そのための勉強を始めました。ジャーナリストを志望したのも、ジャーナリズムは“第四の権力”といわれ、時の政府の姿勢を正し、国民への警鐘を鳴らすことが出来ると考えたからです。

また、大学の先輩に、ジャーナリズム界に就職した人たちが多くいたことも動機の一つになりました。

勉強方法に関しては、新聞社の採用試験問題集を集め、徹底的に問題を解いたほか、作文については、仲間のグループで、新聞社の先輩論説委員を招き、定期的に課題演習に取り組みました。

その甲斐あって、入社試験には、ほぼ満足のいく結果を出すことが出来ました。

最初は経済部に

新聞社での配属は、大学が経済学部であったこともあり、経済部で仕事をすることになりました。経済部は、どの新聞社でも、官庁と民間を担当しますが、私の場合は、最初は民間企業の担当でした。

希望は経済政策でしたが、先輩から、「経済はまず民間企業の経営を知る必要がある」とのアドバイスで、いくつかの業種の企業回りを始めました。

5年ほどの間、企業動向をウオッチしたのですが、その間、企業の合併をスクープすることが出来たのです。

初めてのスクープ

企業回りをやっているうち、A社とB社が合併するらしいという情報をつかみ、当事社の担当幹部にアタックをかけました。しかし、会社の最重要問題をそんなに簡単に漏らすわけがありません。

金融機関、大株主など周辺の取材を並行して行い、ほぼ確証を得て、当事社の幹部に何度も確認しました。幹部はとうとう根負けし、「社内で取締役会を開く段取りがついたら、いち早く連絡する」との言質を得ることが出来ました。

他社の動きにハラハラしながら、幹部との約束を守り、無事、取締役会の当日の朝刊に報道することができたのです。

その日に、A社、B社による共同記者会見が行われ、各紙とも夕刊でこのニュースを大きく報道、中には、この合併によって産業界の再編成が大きく進展するとして、連載企画を始めた新聞社もありました。

この時には、私自身が産業界を動かしているのだという言い知れぬ喜びと、誇りを感ずると同時に、記者としてのやりがいを強く感じました。

責任と使命

その後、経済官庁で希望の経済政策を担当し、重要な政策立案や予算編成などの取材に当たりました。政策の中枢に身を置いて、官庁の幹部とともに政策を議論し、それを記事化することに大きな喜びを感じました。

新聞記者はあくまで報道することが任務ですが、何十万人、何百万人の新聞読者がそれを知ることによって、事実や実体そのものが動くことを知りました。

新聞記者は決して第三者ではなく、時に当事者にもなり得ることに大きな責任と使命を感じないわけにはいきません。