新聞記者を目指す人へのメッセージ(体験談)
新聞記者はドロ臭い仕事
「新聞記者はかっこいい」「勤務が比較的自由だ」など、そんな気持ちで新聞記者を目指す人がいたら、それは大きな間違いと申し上げます。
新聞記者はカッコいいどころか、むしろドロ臭い仕事であり、時には、人に嫌われることも覚悟しなければなりません。勤務が自由だというのも、とんでもない誤解です。
タイムレコーダこそありませんが、取材先とのアポイントメント、記者会見、原稿の締め切り時間など、新聞記者は常に時間に追われて仕事をしなければなりません。
勤務時間も、仕事の中身も、大変ハードな仕事です。それにもかかわらず、新聞記者志望の学生が多いのは、新聞記者としての社会的使命感、正義感、新聞の影響力の大きさなどによるものでしょう。
取材が何よりも大事
しかし、新聞記者としての日々の仕事は、社会的使命感や正義感だけで続けられるものではありません。こつこつ歩き回る地道な取材、断られても嫌われても、粘り強く取材先に足を向ける、取材先、取材相手に対する誠実さ、そうした態度が新聞記者に求められるのです。
これらは、新聞記者に限らず、すべての職業人に共通していえることと思われます。
新聞記者はよく「記事は足で書け」といわれます。「机の上で書く」ことに対する戒めの言葉です。机の上で、本やデータを調べて書くのは、記事でも情報でもありません。
そこには何の感動もないからです。「記事には感動が必要だ」と先輩記者から教えられます。その感動は、自分の足で、地域や町を歩き、企業を回る、警察を回る、夜討ち朝駆けで、要人宅を訪問する、そうした取材努力の中から生まれるものです。
感動を求めて
自分が感激する、新しい発見に驚く、意外な事実に目が覚める、新鮮な内容に感銘を受ける、そうした感動があって初めて記事を書けるのです。
新聞記者がそうした感動を求めて、足で取材をするわけですが、毎日の取材は、非常に地道で、淡々としたものであるかも知れません。しかし、そうした粘り強さ、取材先に対する誠実な態度が、実は、感動の発見につながるのです。
感動を見つけたときの喜び、充実感、そして、それを記事として原稿に書き上げた時の達成感は、何にも代えがたいといえます。
新聞記者として、そうした喜び、達成感を得るためには、長い期間の地道な積み重ねが必要なのです。特ダネやキラリと光るコラムは一朝一夕に生まれるものではありません。
新聞記者には、もちろん幅広い知識、常識、文章力が必要です。しかし、それだけでは感動を見つけられる記者には不十分です。感動を見つけられる感性と誠実さ、そして地道な努力を是非積み上げてください。