有名な競輪選手

世界選手権10連覇のレジェンド・中野浩一選手

1970年代から80年代にかけて世界選手権の個人スプリントで10連覇を達成した中野浩一選手は、世界的にも尊敬を集める競輪界のレジェンドです。

中野選手は1955年、福岡県久留米市の出身です。

高校時代までは陸上競技の短距離選手として国体にも出場しましたが、3年時に肉離れを起こしたことで、陸上での大学進学をあきらめました。

高校卒業後はプロゴルファーになろうと考えていましたが、競輪選手だった父の勧めで日本競輪選手養成所に進みました。

1975年に20歳でデビューすると、いきなり18戦無敗という記録を打ち立てます。

さらに、デビューから約1年で当時の最高位だったA級1班に上りつめ、「九州のハヤブサ」と呼ばれるようになりました。

デビューの翌年に初めて世界選手権の個人スプリントに挑戦し、4位に入賞します。

しかし、帰国後のインタビューでは3位入賞した選手ばかりに質問が集まり、悔しい思いをした中野選手は翌1977年の世界選手権で優勝を飾ります。

そこから、自転車競技において世界的にも伝説となっている「世界選手権10連覇」を達成しました。

1980年には日本のプロスポーツ選手として、初めて年収1億円を突破します。

当時はプロ野球選手やプロゴルファーにも年収1億円の選手はいなかったため、競輪界の枠を超えて日本中で大きな話題となりました。

国内の競輪でも「浩一ダッシュ」と呼ばれた猛烈な追い込みで無敵の存在でした。

個人では中野選手に対抗できないため2~4人で連携して戦う戦法が用いられるようになり、それが現在の競輪界で主戦法となっている「ライン」のきっかけとなりました。

史上最多の賞金王6回で生涯獲得賞金額は13億超という偉大な戦績を残し、1992年に37歳で現役を引退しました。

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賞金獲得額史上最多28億円超の神山雄一郎選手

神山雄一郎選手も、中野選手に続く競輪界のレジェンドです。

神山選手は1968年に栃木県小山市に生まれました。

生家が自転車屋で父親はサイクリングの愛好家という環境で育ったため、小学生になると父に連れられてサイクリングに出かけるようになりました。

幼少の頃から運動能力が高かった神山選手は、小学生のときから片道50キロの道のりを日帰りで往復したり、野宿しながら1日200キロを走破することもできたといいます。

高校生になると自転車部のある作新学院高に進学し、3年生でインターハイと国体の1000mで優勝を果たします。

高校卒業時には競輪選手になるか迷ったといいますが、高校3年時に立川競輪で開催されたKEIRINグランプリを観戦し、その華やかさに魅せられて競輪選手になることを決意。

日本競輪選手養成所の入学試験はインターハイと国体優勝選手として優遇され、入学後も抜群の成績で首席で卒業しました。

1988年4月に競輪選手としてデビューすると、デビュー当日に初勝利という華々しいプロ生活のスタートを切り、わずか7ヵ月で最高位のS級1班に昇格しています。

その後もトップレーサーとしての地位を保ち、圧倒的な強さから「横綱」と呼ばれて競輪界に君臨してきました。

2020年現在も52歳で現役を続けており、G1勝利数(16勝)、通算獲得賞金額(28億円超)、KEIRINグランプリ出場回数(16回)はいずれも競輪界史上最多を誇っています。