有名なコラムニスト
有名なコラムニスト
ボブ・グリーン
コラムニストとして最も知られた存在といえば、アメリカのボブ・グリーンが挙げられます。
イリノイ州エバンストンのノースウェスタン大学を卒業後、ミュージシャン、アリス・クーパーのコンサートスタッフとして働いた際の日記を出版し脚光を浴びました。
2002年まで20年以上におよび『シカゴ・トリビューン』紙でコラムを執筆したことで知られています。
またABCニュース制作の報道番組「ナイトライン」でジャーナリストとして解説者を務めたこともあります。
代表作は『チーズバーガーズ―Cheeseburgers』『マイケル・ジョーダン物語』などで、これらの著作は日本でも大きな話題となりました。
また、『シカゴ・デイリー・ニューズ』紙のマイク・ロイコや『ニューヨーク・ポスト』紙のピート・ハミルも同年代のコラムニストとして名を馳せています。
天野祐吉
日本の代表的なコラムニストのひとりが天野祐吉です。
明治学院大学を中退したあと、創元社、博報堂にて勤務しました。
その後独立して1979年に初代編集長として雑誌『広告批評』を創刊、「今月の広告時評」を連載し、2009年に休刊するまで主宰を務めたことで知られています。
朝日新聞の連載コラム『私のCMウオッチング』は、タイトルを『天野祐吉のCM天気図』と変更しながら、1984年から2013年に亡くなるまで30年近く執筆されました。
テレビ朝日系「報道ステーション」のコメンテーターほか、テレビやラジオ、トークショーにも数多く出演し、多数の著作を残しました。
泉麻人
泉麻人は慶応義塾大学を卒業後、東京ニュース通信社に入社し、テレビ情報誌『週刊TVガイド』編集部にて勤務しました。
その後独立し、『週刊文春』のコラム『ナウのしくみ』は1984年から1994年まで連載され、代表作になりました。
そのほかテレビ朝日系深夜番組「タモリ倶楽部」など数々のテレビ出演でも知られ、トークショーやイベントにも数多く参加しています。
また、娘の朝井麻由美もコラムニストとして活躍を見せています。
20代で正社員への就職・転職
有名な女性コラムニスト
ヘレン・トーマス
有名な女性コラムニストといえば、アメリカのヘレン・トーマスが挙げられます。
ワシントン・デイリーニューズに入社しますが、人件費削減のため解雇、その後UPI通信社へ転職し、2000年に退職するまでさまざまなコラムを執筆しました。
さらにホワイトハウスでジョン・F・ケネディ大統領をはじめ、歴代の大統領を取材するジャーナリストとしても注目を集めました。
退職後もフリーランスの特派員およびコラムニストとして活躍しました。
ナンシー関
日本の有名な女性コラムニストといえば、ナンシー関が挙げられます。
雑誌『広告批評』主催の「広告学校」に通うようになり、その人脈からコラムニスト・えのきどいちろうに認められコラムの連載を開始します。
当時『ホットドッグ・プレス』編集部に勤務していた、マルチクリエイター・いとうせいこうに「ナンシー関」と命名され、消しゴム版画とイラストとコラムで活躍するようになります。
さまざまなコラムを執筆し、『週刊朝日』の『小耳にはさもう』や『週刊文春』の『テレビ消灯時間』といった連載をもち、代表作になりました。
深澤真紀
深沢真紀は、近年人気を集めるコラムニストです。
早稲田大学(第二文学部)在学中に女子学生のためのミニコミ『私たちの就職手帖』で副編集長を務めました。
大学卒業後は複数の出版社を経て、「タクト・プランニング」を設立し、代表取締役社長に就任します。
文芸評論家・斎藤美奈子のマネジメントやコラムの執筆、講演などを行いながら、2006年にウェブマガジン『日経ビジネスオンライン』で、「草食男子」と「肉食女子」を命名し話題となりました。
その後はフジテレビ系情報番組「とくダネ!」のコメンテーターを務め、淑徳大学の教授にも就任しています。