有名なテレビプロデューサー
人気番組をたくさん手掛け、プロデューサー自身の名前が世に知られるようになる人もいます。
この記事では、代表的な日本のテレビプロデューサーの実績や、活躍の様子を紹介します。
有名な日本のテレビプロデューサー
ここでは、数々の有名テレビプロデューサーのなかでも、バラエティ分野での活躍が目立つ代表的なプロデューサーを紹介します。
キャスティングの上手なプロデューサー
まずは、日本テレビでバラエティ番組の演出・プロデュースを担当している名物プロデューサーである、菅賢治さん。
バラエティ番組にも何度も登場されているので、ご覧になったことがある方も多いかもしれません。
菅さんが担当された番組には、明石家さんまさん・マツコデラックスさんなど、人気タレントを起用し、高視聴率をたたき出す番組がたくさんあります。
また、ダウンタウンさんが全国区の芸能人になるきっかけを作ったのも菅さんです。
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」という番組では、上京したダウンタウンさんを起用し、出演者・番組ともに人気を獲得していきました。
プロデューサーには、菅さんのような、魅力溢れる出演者をキャスティングする能力と、出演者の魅力が引き出せる番組制作力が必要といえるでしょう。
社会現象を生み出したプロデューサー
人気番組を制作すると、その番組は世の中のブームとなり、場合によっては社会現象にまでなることもあります。
横澤彪さんは、かつてフジテレビで放送されていた「オレたちひょうきん族」という人気バラエティ番組を制作したテレビプロデューサーです。
ビートたけしさん・明石家さんまさんなど、当時の人気芸人をキャスティングし、裏番組だった人気番組「8時だョ!全員集合」に負けない視聴率をたたき出しました。
同時に、「笑っていいとも!」で当時深夜番組のイメージがあったタモリさんをお昼の顔にし、「タモリ・たけし・さんま、お笑いBIG3」というバラエティ史に残るブームを作り出しました。
ゴールデンタイムの人気番組を作るプロデューサー
テレビ朝日にも、有名なテレビプロデューサーがいます。
加地倫三さんは、AD時代からナインティナインと関りを持っており、「ロンハー」という呼び名で知られる人気番組「ロンドンハーツ」の立ち上げからスタッフとして参加しました。
その後、雨上がり決死隊をMCに据えた「アメトーーク!」を自ら立ち上げ、若者から絶大な支持を得てゴールデンタイムの人気番組へと育て上げました。
加地さんは、2018年からテレビ朝日のエグゼクティブプロデューサーとして活躍しています。
20代で正社員への就職・転職
テレビプロデューサーは歴史に名を残すことができる
有名なプロデューサーはテレビ史に自らの名前を残すことができるのです。
それはもちろん、バラエティ番組に限った話ではありません。
ドラマであれ、ドキュメンタリーであれ、そのジャンルを問わず、日本の文化を作っているといっても過言ではないでしょう。
テレビ画面には出ることのないプロデューサーという仕事は、縁の下の力持ち的な存在かもしれません。
しかしながら、日本の文化や芸能史や人々の記憶に残る仕事ができるのです。
有名プロデューサーはフリーランスになる人も
元テレビ局のプロデューサーが、ある程度の経験を積むとフリーランスになるケースもあります。
たとえば、フジテレビから関連会社の共同テレビに出向し、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」などのプロデューサーとして活躍した小松純也さんは、2019年にフジテレビを退社し、その後はフリーでの活動を続けています。
また「あちこちオードリー」などの数々の人気番組をプロデュースした元テレビ東京の佐久間宣行さんも、2021年に独立し、フリーランスになっています。
さらに最近ではプロデューサーが自らSNSを使って情報発信する機会も増えましたし、テレビに出演することもあります。
講演会を開いたり著書を執筆したりすることもできます。
実力のあるテレビプロデューサーが、個人で幅広く活躍しやすい時代になってきているといえるでしょう。
一方、テレビ局としては、優秀なテレビプロデューサーが独立してしまうケースが増え、危機感を抱いている一面もあるといわれています。
20代で正社員への就職・転職
「有名なテレビプロデューサー」まとめ
テレビ番組の制作には、必ず「プロデューサー」という存在が関わっています。
テレビプロデューサーは普段はあまり目立つ存在ではありませんが、人気番組を多く生み出していくと個人としても知名度が上がり、注目されることが増えます。
最近はテレビ局を退社し、フリーで自由に活動を続けるプロデューサーも増えてきています。