競艇選手(ボートレーサー)に事故や怪我は多い?

競艇選手(ボートレーサー)に事故や怪我は多い?

60年間で31人のレーサーが事故死

競艇(ボートレース)は、直線で時速80kmのスピードが出ます。

また、ターンでは何艇ものボートが接近し、少しでも前へ出ようとします。

そのため、衝突や接触事故が起こることもあります。

数年に1度は、レース中や練習中の死亡事故も起きています。

たとえば、女性レーサーとして人気のあった木村厚子選手は、2003年、ターン時にボートが回転しすぎて失速した時、後続艇に激突されました。

その衝撃で頭を強打し、脳挫傷で亡くなりました。

2010年には、岩永高弘選手が、ターン後、隣の艇と接触して転覆。

やはり頭と背中に艇が激突したことで亡くなっています。

2013年には、鈴木詔子選手が、レース前の練習に向かうためにスタート位置に移動していた際、ボートが岸壁に衝突。

頭などを強く打ち、脳挫傷のため亡くなりました。

鈴木選手がエンジンの試運転やスターと練習のために、昇降機で水面に下したボートを移動させようとした際に、いきなり全速状態となり、岸壁に衝突したそうです。

鈴木選手は出走回数が4700回を超えるベテラン選手でした。

2020年には、松本勝也選手がレース中に転覆。

航続艇と接触して、病院に搬送されましたが亡くなりました。

松本選手はボートレーサーの最高位であるA1ランクに所属していた選手で、人望も厚い方だったそうです。

この60年間で、31人のレーサーが事故死しています。

毎年のように重大事故が起きている

もちろん、この60年間に、装具の改良や安全対策が行われてきました。

また、転覆時の対処法も、学校での訓練時代から厳しく指導されています。

その結果、衝突事故や転覆事故が起きても、一命を取りとめたり、軽傷ですんだケースも多くあったはずです。

それでも、骨折や打撲、捻挫などの大ケガをする重大事故が、毎年のように起きています。

ただでさえ不安定な水上で、加速や減速、そして旋回を行えば、事故の起きる確率が高くなるのです。

かといって、ターン時に積極的に仕掛けなければ、レーサーとしては失格です。

しかも、事故はちょっとしたアクシデントで起きることもあれば、事故に巻き込まれることもあります。

覚悟の必要なスポーツであることは事実

ケガの程度もいろいろで、すぐに現場へ復帰できる人もいれば、長いリハビリが必要な人、引退せざるを得なくなった人もいます。

スポーツにケガはつきものですが、競艇選手(ボートレーサー)は、スポーツの中でも大きなケガの起きやすいスポーツといえますし、いつ自分が事故に遭うかわかりません。

ボートレーサーになるなら、それなりの覚悟が必要だということです。

現在、BOAT RACE振興会のボートレースアンバサダーを務めている、植木通彦さんは、選手生活3年目の1989年に桐生競艇場でのレース中に転覆。

航続艇のプロペラで顔面を切り刻まれ、全治5か月、75針を縫う重傷を負いました。

しかし、半年後に自らがけがをした桐生競艇場でレースに復帰。

その姿から「不死鳥」と呼ばれ、2007年の引退までに4500回出走、1562勝を挙げました。

植木さんが獲得したグランプリや、オールスターなどの主要タイトルはすべて、このケガから復帰したのちに挙げたものです。

引退の際、植木さんは「桐生の事故の後、これかららどうしようかと考えたときに、桐生の皆さん、そしてお世話になったみなさんのためにも「20年間、命を懸けて走ろう」と決心しました。そして、その20年が来ました」と語りました。

いかに強い覚悟でレースに戻り、そして走り抜けた現役生活だったかがにじむ言葉です。

ボートレーサーという仕事はひとつの事故が、現役生活はもちろん、自らの命をも奪う危険性があることを心にとめて、臨まなくてはなりません。