ジャーナリストになるために記者時代に努力したこと(体験談)

ジャーナリストになった経緯

私はもともとジャーナリストを志したわけではなく、新聞記者を志望して全国新聞社に入社しました。

新聞記者経験を積み重ねるうちに、自分の書いた記事や解説で世の中に影響を与えることができると感じ始めたことが、将来、ジャーナリストとして生きていこうと思ったきっかけです。

ただ、ジャーナリストとして生計を立てることは、予想外にむずかしく、健康管理に注意を払いながら日ごろ新聞社や出版社とのコミュニケーションを密にしながら、仕事の確保を図っていく必要があるように思われます。

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新聞記者時代

新聞記者も広い意味でジャーナリストといえますが、20代、30代の若い記者では、ジャーナリズムの世界ではとてもジャーナリストと呼んでもらえません。

私の先輩に、何人かのジャーナリストがいましたが、いずれも、50代、60代の新聞記者で、一人は編集委員、一人は論説委員でした。

彼らは、新聞に論説やコラムを書くかたわら、雑誌や他の出版物にも記事を書いていました。時には、単行本などの書籍を著すこともありました。

先輩たちは、社内でも有能な記者であり、その文筆力には、社内外から高い評価を受けていました。

そうした先輩を身近に見ながら、自分自身も将来、文筆で身を立てられるようになりたいと思ったわけです。

記者としての仕事の中でも、いくつかの記事で、スクープをものにし、社内表彰を受けたこともあります。そうしたスクープ記事を書いた時の興奮は今でも忘れられません。

自分の書いた記事が朝刊紙面に掲載されると、当事者はもちろん、関係者、役所なども大騒ぎをし、早速、正式な記者発表が行われました。各新聞社とも、夕刊で追随記事を大きく掲載しました。

そうした様子を見ながら、私は、報道記事の背景や焦点となった点などについて、自分自身のそれまでの取材を踏まえ、連載記事を書き続けました。

連載記事もまた、反響を呼び、多くの投書や電話を受けたほどでした。そうした経験から、文筆による影響力の大きさを実感した次第です。

苦労して身につけたこと

新聞記者時代には、ずい分苦労もありました。新人時代は、文章を書くのが遅く、他の人が2~3時間で書き上げる記事を一晩かかったこともあります。

新聞記者はスピードが勝負です。締め切りに間に合わせられない記者は記者として失格です。デスクに何度も原稿を破り捨てられ、全面書き直しを命じられたことも一度や二度ではありません。

時には、勤務時間終了後に、デスクから記事作成特訓を受けたこともあります。

「文章は鉛筆で書くものではない。頭で書くものだ」。デスクの言葉を今でも忘れられません。

取材やインタビュー、あるいは現地レポートなど、材料を見たり聞いたりしている段階で、頭の中で文章を構成していかなければならないというわけです。

そうした厳しい訓練あるいは苦労を経て、ようやく記者として一人前に認められるようになりました。新聞記者時代の苦労が、現在ジャーナリストとして仕事を続けられる基礎をつくったといってよいでしょう。