私が学校司書になるまで「人生万事塞翁が馬」
先日、地元の図書館で大学生とおぼしき女性が図書館長に司書職のなりかたについて、インタビューをしていました。
遠目で様子を伺うだけでも、彼女はずいぶん緊張し、また正規職員としての採用が狭き門であることにショックを受けていました。
インタビュー後彼女が図書館を出たあたりで、おせっかいの私は、「私のやってきたことは無駄なのか」と半泣きの彼女をそのままにしておくことはできず、
「確かに、非正規職員だけど学校司書は楽しいし、あなたのやってきた勉強は必ず役に立つからね!聞きたいことがあればこちらへ連絡してね」
とドキドキしながら名刺を渡しました。
未だ連絡は来ないのですが(笑)、そんな思いで不安になる皆さんのために今日は私が学校司書になるまでのお話をします。
自分の職歴や葛藤が多くストレートな道ではないのですが、参考になれば幸いです。
もちろん、何かご質問があれば、プロフィールから直接相談くださっても大丈夫ですのでお気軽にお声がけくださいね!
夢をもつ人を応援しています。
将来の夢がぼんやりとしていた大学時代
小学校からの夢
漫画家から始まり新聞記者やアナウンサーなど、常に絵や言語を通じて社会に何か伝える仕事に関心がありました。
司書は楽?
小学校から図書館はよく利用し、また引っ越しを多く経験したため、各土地の様々な図書館を知りました。
高校時代の司書教諭への印象は「進学校の図書室は大変そうだけど、基本楽そうだな」でした。
フル単位で広く学んだ大学時代
大学時代は他学部の授業が広く学べる社会学部を専攻。
とりあえず教職課程、そして当時憧れていた学芸員資格を取得すべくフル単位、放課後はしっかりしたサークル活動と教育系バイトの掛け持ちで、本当に忙しい日々でした。
ちなみに私の出身の上智大学では当時司書資格は取得できませんでした。
(最新情報はご確認をお願いします)
あまり感心しない就職活動
自己分析に溺れる世の中の流れがあまり好きではなく、かといって教員になる覚悟もなく、せっかく高倍率の中から受かったマスセミ(上智大学では非公式でマスコミに就職したOBOGに鍛えてもらえる就活応援組織がありました)も強化合宿で萎えました。
出版や新聞業界を目指すマスセミ同期のように、自分は徹夜でOBOGと仕事を語るような熱意も適性もない、と。
学芸員はそもそも学部卒でなれる仕事ではないと感じ、不戦敗。
スーツに象徴される画一化された就職も好きではなく、新聞社・出版社・外資系医薬品・百貨店の数社しか受けず、その中で唯一受かった百貨店に就職しました。
卒業時には、親だけでなく短期留学先のマルタ島の語学学校でも「あなたが百貨店員になるの?つまらないんじゃない?」と言われたことをよく覚えています。
つまらないのは自分のせいと気づけなかった新卒時代
確かに、他の人に言われたように販売職は自分には物足りなさを感じました。
一方でその不満感を埋めるべく、仕事をしながら、東洋大学の通信教育過程で教員免許に必要な2単位(単位の計算ミスで取りそこねた)を取得しました。
その時「ついでに」司書教諭資格が認められるための単位履修をしました。
(ちなみに、ついでとは言えないくらい、レポートもスクーリングもものすごく大変でした!!現在は残念ながら通信課程はないようです。)
百貨店時代、せっかく就いた仕事を「つまらない」と思っていましたが、その後から今の仕事に大いに役立っています。
それは何かというと、ホスピタリティ(思いやり・心のこもった対応)。
当時から公務員や教員がサービス向上のため、百貨店研修に来ていたのですが、ホスピタリティはどんな職場でも、とくに対人の場面が多い彼らにこそ必要なのです。
もし、今サービス業に従事されていたり、アルバイトで接客をされていたら、そのふるまいはどこででも通用しますので、自信を持ってください。
私は今の小学校図書室でも、いつも心がけています。
毎日登校し、さらに図書室まで足を運んでくれるのは「大事な小さなお客様」です。
その後、やはり学芸員の夢を諦めきれずにチャレンジしようと、約1年で百貨店を退職。
美術について学びながら、出版社の契約社員や非常勤学芸員を目指します。
そして、美術館に務めるには、一番手っ取り早いのは文科省に入ることかも!と考えます。
人材派遣会社を通じて大学院事務の仕事をしながら、国家公務員試験の練習をしようと、美術館を持つ自治体の公務員試験を受験しました。
するとあれよあれよと言う間に試験を合格し、地方公務員になり、「つまらない」と思う暇もないほどの11時過ぎ残業、土曜は平日というほどの休日出勤、教育委員会事務局の中でもワースト激務職場に配属されました。
人生で最大の難所育休復帰後の心身崩壊
激務をこなしつつ、プライベートはなんとか順調に結婚、出産、産育休を取得します。
2人目の復職後育児が思い通りにならない苦労と、職場の環境も影響して、心身の疲労困憊に陥りました。
周囲が大反対する中、自分と子どもの命を守るために公務員ワーママを退職しました。
保育園を継続するためのパートタイムとして、夫の扶養の範囲で、出版社の児童英語講師や同じ会社の営業事務、家事代行サービスなど掛け持ちでしていました。
一般的にはキャリアダウンでしたが、久しぶりに民間職場で自由を感じましたし、幼稚園の子どもたちと英語で遊ぶことは楽しかったです。
また、長い通勤時間を活かして保育士試験の勉強に励み、家族の協力の甲斐あって一発合格することができました。
学校司書は子育てしながら働く最高の職場
そんな人生の息抜きをしていたのですが、職場への往復3時間や交通費で所得額が圧迫されてしまう状態でした。
保育園の送迎に便利な近場で、自分の持つ資格を活かした高時給の職はないものかと仕事をさがしていたところ、たまたま広報で学校司書募集の案内を発見しました。
採用試験は小論文と面接でした。
採用担当課は、自治体は違えど私が5年勤めた古巣でもあり、学校の状況も学校司書を雇用する側の状況もよくわかっていたので終始緊張することはなく終了。
よほど人手も足りなかったのか、すんなりと任用されました。
初めての学校司書の仕事、引き継ぎも2日ほどで任された一人職場。
何から手をつけたらいいか心配でしたが、とりあえず人手が足りず、ホコリの溜まった図書室を掃除しながら通常業務をこなしていきました。
ありがたかったのが、市内の学校司書さんによって結成された横のつながりの会にお誘い頂き、蔵書点検や図書の授業の取り組みなどをお勉強させていただく機会がありました。
(ちなみに年齢制限がないので、30代〜70代までいらっしゃいます。)
児童英語講師と平行すること数ヶ月、新年度からは学校司書の仕事のみに絞り、色々な企画で子どもたちに楽しんでもらう図書室を実践しました。
随分と長い道のりで(これでもだいぶ省いたつもりです)、結局自分に一番しっくりくるのは教育に携わることだったのか、と気づいた次第です。
今学校司書になれてよかったと気づいたことは、毎日子どもたちの成長をみながら仕事をするので、「この年代はこんなことに興味があり、こんな態度をとりがち」など自分の子育てにも参考になることです。
また、小学校の図書は物語や絵本が多く、自分の知らなかった児童文学作家さんの世界が広がります。
絵本も本当に奥深く、授業用の本を選書しながら「子どもに読んでみて反応をみよう」と日々試行錯誤できます。
好きなことにアンテナを立て続けていれば色んな形で夢が叶う
私の場合「学校司書が子どもの頃からの夢」というわけではありませんでした。
しかし、大学時代に出版・マスコミの厳しさを就活で知り、新卒で百貨店で人の心に寄り添う接客マナーを体得し、中途採用で教育委員会で行政と学校現場をこれでもかと言うほど経験し、育児で人生で一番の壁にぶち当たり苦悩・・・
こんな様々な人生経験・職業経験を経て学校司書になれたことが今の学校司書の仕事にものすごく活きています。
もしあなたが今すぐ学校司書になりたいのならば、ぜひチャレンジしてほしいし、今はなれなかったとしても、長い人生の中で得る経験に何も無駄なことはありません。
自分らしく生きるための判断を、その時その時でしていくことで、自分の大好きな仕事へ、見えない糸が何か繋がっているような気がしてなりません。
お読みいただき、ありがとうございました。
自分の夢はいつ叶うかわからない。
自分の宝物はどこにあるか、それは旅をしなければわからない。
世界的名著、パウロ・コエーリョ『アルケミスト 夢を旅した少年』をお読みいただくと、人生がいかに稀有な縁によって紡がれているか、
そして自分の意志が何よりも大切か、感じることができると思います。
もしお読みでない方がいたら、ぜひご一読を。