指揮者やりがい・楽しさ・魅力
指揮者やりがい・楽しさ
演奏の全責任者
指揮者は自分が指揮した曲の最高責任者で、演奏の出来には全責任を負うことになります。
最高の演奏ができたときは評価を受けますが、演奏中のミスやアクシデントも指揮者の責任となりますし、ときにはブーイングを浴びたり、批評家から辛辣なコメントをされたりこともあります。
賞賛も批評も、そのすべてを一身にうけるのが指揮者という仕事で最も華々しく、責任の重い立場にやりがいを感じられることこそ、指揮者としての資質といえるでしょう。
指揮者には重圧や緊張感をモチベーションとして利用し、名演奏の糧にするタフな精神力だけでなく、賞賛にも辛辣な批評にも甘んじることなく、自分なりの音楽観を追求していく姿勢が求められます。
これらを持ち合わせてこそオーケストラのトップとしてふさわしく、やりがいを感じられる資格があるといえるのです。
イメージ通りの演奏をつくる
指揮者は、自分の指示通りにプロの名演奏家たちが音色を奏でる瞬間、大きな高揚感を得るといいます。
けれどもそれには事前の地道な努力があってこそです。
有名オーケストラの団員といえば、それぞれがソロで演奏会を行っても多くのファンが集まるような名うての演奏者がそろっています。
それだけに、演奏する曲目についての自分なりのイメージや曲想など、自分の演奏にこだわりを持つ人が多く、自分の指示どおりの演奏をさせるには至難の業です。
とくにキャリアが浅い新米指揮者は、ベテラン演奏者とコミュニケーションを図り、自分のイメージ通りの演奏をしてもらうのは困難です。
演奏者への敬意を示しつつ、熱意をもって繰り返し自分のイメージを伝え、論理立てて説明し、ときには議論もいとわない姿勢で向き合うことで、ようやく指揮者として認められるのです。
こうした努力を見せることで、徐々に団員のチームワークも音色もまとまり、ようやく曲をイメージ通りにまとめあげることができたときの達成感は、何事にも代えがたい感動の瞬間となるでしょう。
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指揮者の魅力
指揮者への最高の賞賛は、なんといっても聴衆からの拍手です。
チケット代を払い、会場へ足を運び、実際に演奏を聴いて賛辞の気持ちを込めて贈られる拍手ほど、指揮者にやりがいを与え、心を奮い立たせるものはありません。
日本のクラシックコンサートの聴衆は非常に礼儀正しく、曲が終わればまず間違いなく盛大な拍手が贈られます。
しかし欧米のオーディエンスは一筋縄ではいきません。
歴史的にもクラシック音楽が文化として受け入れられているため、音楽に造詣が深い人も多く、またストレートに演奏への感想をアピールするため、「いまひとつ」と感じた演奏には、拍手もまばらとなります。
ひどいときには聞くに堪えないという意思をアピールするために、コンサートの途中で退席してしまう人もいるほどです。
しかしそれだけに、名演奏だったときの賞賛もストレートです。
会場が揺れるような拍手を贈り、会場のあちこちから「ブラボー!」の声が飛びます。
指揮者を含むクラシックの音楽家は「聴衆のブラボーと拍手で育てられる」といわれるほどで、こうしたお世辞のない賞賛に、指揮者は大きなやりがいを感じるのです。