医師大圃 研さん

1974年、東京都生まれ。NTT関東病院消化器内科医長。1998年日本大学医学部卒業後、都内の総合病院に勤務。2007年NTT関東病院に移り、消化管の早期がんに対する内視鏡治療を専門として、多忙な毎日を送っている。

医師を目指したきっかけを教えてください。

僕の家は、祖父母も父も医師なんです。みんな消化器外科医をしています。僕の生まれは東京ですが育ちは茨城で、まさに田舎ならではの小さなコミュニティのなかで育ちました。

たとえば、近所の人たちはみんなうちの病院に通っていたり、親が小学校の校医だったりするので、周りから「将来は、お父さんみたいにお医者さんになるのね」と言われ続けていたんですよね。

そこで、小さな子どもがいちいち「なりません!」とも言わないじゃないですか(笑)。カッコいい話ではないのですが、とにかく医師になることが当たり前の環境で育ってきたというのが、そもそものきっかけですね。

子どものころ、他になりたい職業はなかったのですか?

強いていうなら、水泳選手になりたいと思った時期がありました。水泳は幼い頃から続けていて、アジア大会やオリンピックを目指す選手たちと一緒に練習をしたりと、ある程度のレベルまではやっていたんです。

ただ、本当にオリンピックに出られるほどのレベルではなかったですし、親からは、中途半端になるのだったら医師を目指したら?と言う風には言われていました。

それからは、どのような進路で医師になったのですか?

大学は日大の医学部に入りました。医師になるには、国家試験に受かってしまえば、どこの大学を出たかというのはそこまで影響がありません。ただ、いくつか受かったなかで、うちは代々日大の卒業生が多かったですし、いろいろ馴染みがあったのでそこを選びました。

そして、大学卒業後は大学の医局に入らず、都内の某総合病院に勤めました。いまはそういう人も増えてきているんですが、その当時、大学を出て医局に入らない人は100人中3人いるかいないか、という時代。かなり特殊なケースでしたね。

最初から医局に入らず働いて、苦労しませんでしたか?

そのときは夢中だったので苦労とも思わなかったんですが、いま振り返るとかなり過酷でした。僕は研修が終わったあとも、非常勤の嘱託という身分で働いていました。

学閥が色濃く残る世界で、私自身が無所属で後ろ盾が無いこともあり、無給にされたり辞職を迫られたりと冷たい仕打ちを受けたこともあります。ただ、クビにされるようなことはまったくやっていない、という自信があったので続けられました。

こんな話をすると、皆さんは「なぜ、医局に入らなかったのか?」って思いますよね。たしかに、医局に入ると身分は保証されます。でも、そこで何の意思も持たずに流れに乗り、「コマ」としてなんとなく働いている人も多くて。

もちろん、医局に所属していても高い意識を持っている医師はいますし、医局に入ることを否定するつもりはありません。ただ、当時の僕には「流れに乗っかって何がメリットになるんだろう?」という疑問があったんですよね。

それと同時に、「安定性」や「生活の保証」ということへの不安感があまりなかったのもあるかもしれないです。「なんとかなるだろう」と思っていました。