有名なバレーボール選手
過去に活躍したバレーボール選手
「ミスターバレーボール」森田淳悟さん
全日本男子は1968年のメキシコシ五輪で銀メダル、1972年のミュンヘン五輪で金メダルを獲得した栄光の歴史があります。
そのときに横田忠義さん、大古誠司さんとともに「全日本ビッグスリー」と呼ばれて活躍したのが森田淳悟さんです。
当時の日本は、ソ連や東ドイツといった世界の強豪国と比べて高さとパワーで劣っていました。
日本人が世界一になるためには、相手をほんろうする新たな攻撃が必要だと考えた日本チームは、現在では当たり前となっている時間差攻撃やフライングレシーブといった技を生み出しました。
そのなかで森田さんが考案したのが「一人時間差攻撃」です。
一度ジャンプするふりをして相手のブロックをかわし、もう一度ジャンプしてスパイクを打つというものです。
森田さんはドライブサーブも考案し、「ミスターバレーボール」と呼ばれました。
バレーボールの歴史に名を刻んだ森田さんは、2003年にバレーボール殿堂入りを果たしています。
中学生で全日本女子に選ばれた中田久美さん
2016年から全日本女子の監督を務めている中田久美さんは、女子バレーボールの歴史に残る名選手でした。
中学に入ってからバレーボールを始めると、なんと中学3年生のときに史上最年少の15歳で全日本女子のメンバーに選ばれます。
最初はセンターのプレーヤーでしたが、その後、セッターに転向したことでさらに才能を開花させました。
当時の日本リーグ最年少記録となる16歳3カ月でデビューを飾り、日本リーグとVリーグを合わせて女子選手としては最多となる4度の最高殊勲選手賞を受賞しました。
全日本女子としても1984年のロサンゼルス五輪、1988年のソウル五輪、1992年のバルセロナ五輪と、日本女子バレーボール史上初のオリンピック3大会に出場する快挙も果たしています。
現役を引退後は2008年にイタリアのプロチームのコーチに就任し、日本人女子として初めて海外のチームの指導者となりました。
2012年にはVリーグの久光製薬スプリングスの監督に就任し、女子チームとして初の国内3冠を達成するなど指導者としても大きな功績を残しています。
20代で正社員への就職・転職
近年の有名なバレーボール選手
イタリアで活躍する男子のエース・石川祐希さん
石川祐希選手は現在、男子バレーボール界で人気、実力ともにナンバーワンの選手です。
身長192cmの石川選手は、高い打点から繰り出すスパイクと強烈なジャンプサーブを武器に、愛知の星城高校時代から注目を集めていました。
高校時代はエースとして2年時と3年時に2年連続の高校3冠の原動力となり、中央大学に進学すると大学生で全日本メンバーに選ばれました。
大学を卒業後は、Vリーグには進まずにイタリアのプロリーグでプレーしています。
イタリアで3シーズン目を迎える2020年は強豪のミラノに移籍し、新天地でのさらなる飛躍が期待されます。
抜群の人気を誇った女子のエース・木村沙織さん
近年の女子バレーボール界のエースとして長く活躍してきたのは、2017年に現役を引退した木村沙織さんでした。
高校生だった2004年にアテネ五輪に出場し、その後も北京五輪、ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪と出場して中田久美さんを上回るオリンピック4大会に連続出場を果たしました。
2012年のロンドン五輪では全日本女子のエースとして銅メダル獲得に貢献し、日本に久しぶりのメダルをもたらしています。
ロンドン五輪後にはトルコリーグに活躍の場を移し、年俸1億円以上の契約を結ぶなど世界的にもトップクラスの待遇でプレーしていました。
人気、実力ともにトップ選手であった木村さんが引退した女子バレーボール界は、「ポスト木村沙織」の登場が待たれています。