バレーボール選手の海外移籍

海外移籍への道を開いた加藤陽一選手

日本のバレーボール界のトップ選手で初めて海外のチームでプレーしたのは、2002年にイタリアのシスレー・トレヴィーゾに移籍した加藤陽一選手でした。

当時、全日本代表の選考基準には「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」という規約があったことから、日本バレーボール協会などには反対の声も少なくありませんでした。

加藤選手は全日本代表として戦っても外国チームに勝てないことから、実際に自分の目で外国のリーグを見てみたいという思いを強く持っていました。

自らトライアウトを受けて入団を勝ち取った加藤選手は、当時、世界最強リーグと呼ばれていたセリエAで大活躍し、チームをリーグ優勝に導きました。

翌2003年には全日本の活動スケジュールと合わせるため、ギリシアのPAOKに移籍すると、全日本代表の選考基準から「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」の一文が削除。

加藤選手の海外挑戦をきっかけに、その後は日本のトップ選手も自由に海外リーグへ移籍することができるようになりました。

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男女のトップ選手が海外移籍する流れ

加藤選手がイタリアへの移籍を果たしてからは、実際に男女とも、複数の選手が海外リーグに挑戦する流れが生まれました。

男子選手では、越川優選手(イタリアのパッラヴォーロ・パドヴァ)らが海外のリーグでプレーしました。

女子選手でも井野亜季子選手(フランスのRCカンヌ、アゼルバイジャンのアゼリョル・バクー)や狩野舞子選手(イタリアのパヴィーア、トルコのベシクタシュ)らが海を渡っています。

また、VリーグのNECレッドロケッツでプレーしていた高橋みゆき選手のように、チームからの派遣というかたちで海外へ出て行った選手もいます。

髙橋選手は2005年8月からNECに在籍したままセリエAのヴィチェンツァに移籍し、2年間プレーしました。

その経験をチームに持ち帰り、NECでも全日本でもチームリーダーとして活躍しました。

世界のトップ選手は1億円プレーヤー

全日本女子のエースとしてロンドン五輪銅メダル獲得に貢献した木村沙織選手は、ロンドン五輪後の2012年秋にトルコのワクフバンクへ移籍しました。

このときの木村選手の年俸は、なんと1億円という高額なもので、Vリーグの東レ・アローズ時代の10倍以上だったのではないかといわれています。

木村選手は2013年、同じトルコリーグのガラタサライに移籍し、計2シーズンをトルコで送りました。

現在、トルコリーグには各国のトップ選手が集まり、年俸1億円前後という好待遇で契約しています。

木村選手のように世界でも高く評価されれば、バレーボール選手も「1億円プレーヤー」が夢ではない時代となりました。

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大卒でイタリアに渡った男子のエース・石川祐希選手

現在、男子バレーボール界で人気、実力ともにナンバーワンの選手である石川祐希選手は、大学卒業後にVリーグでプレーすることなく海外のチームに入団しました。

愛知の星城高校時代にはエースとして2年連続の高校3冠の原動力となって注目された石川選手は、中央大学に進学すると大学生で全日本メンバーに選ばれました。

大学在学中の2014年8月、イタリアのパッラヴォーロ・モデナに3カ月間の留学というかたちで加入したのをきっかけに、大学卒業後から本格的にイタリアのプロリーグでプレーしています。

イタリアで3シーズン目を迎える2020年は、前年度リーグ8位だったエマ・ヴィラズ・シエナから同5位の強豪チームであるミラノに移籍し、ステップアップを果たしています。

Vリーグでプレーすることなく海外でキャリアを築き、全日本でもエースとして活躍する石川選手は、これからのバレーボール選手に新たな道を示す存在です。