【太鼓パフォーマー】「世界中の人に聴いてほしい」父の姿に胸打たれ、太鼓の道へ。 一彩さん
今回は、2歳のときから和太鼓に触れてきた太鼓パフォーマーの一彩さんからお話を伺います。
「太鼓パフォーマー」の活動内容
「太鼓パフォーマー」とは、具体的にどのような活動をしているのでしょうか?
和太鼓を中心にいろいろな楽器を使い、舞台での演奏活動や作曲、振付や指導、その他メディア出演やレコーディング参加などさまざまな活動をしています。
通常は日本全国の舞台演奏活動や演奏のためのリハーサル、テレビ番組などのメディア出演、有名アーティストの楽曲レコーディング参加、海外ツアーに同伴し出演することもあります。
主にSNSや他音楽ジャンルのアーティストさんとの繋がりなどで仕事を得ていました。
ただ、最近はコロナウイルスの影響で、舞台の演奏活動やメディア出演がなくなってしまったので、新横浜の「ヒダノ太鼓エンターテイメントスタジオ」で太鼓の指導を中心に活動しています。
これまでどれほどの数の公演(演奏)をされてきましたか?
2歳の頃から舞台に立っているため、数えた事はございませんが、メディアなどの出演も合わせると1,000以上の舞台には立っているかと思います。
また、これまで国内だけでなく12ヵ国をツアーで回ったこともあります。
「太鼓パフォーマー」としてのトレーニング
活動をしていく中で思い出に残っているステージや出来事はありますか?
基本的に大きなステージに立った際は思い出に残っていますね。
全国のドーム、アリーナ、スタジアムでの演奏は、普段のステージとはまた一味違った経験なので、毎回思い出になります。
日頃行っている練習やトレーニングの内容や、日々のスケジュールについて教えてください。
僕は一人で練習することがあまり好きではないので、基本的に仲間とのリハーサルやセッションの中でスキルアップするようにしています。
以前までは筋トレをしていたのですが、太鼓で使う筋肉は太鼓で身につけることが一番だと思ったため、筋トレもしなくなりました。
リハーサルやセッションだけですね。
また、スケジュールはルーティンではなく、日々の予定に変動して行動しています。
ただ、仕事の日は活発に活動していますが、休日はインドア派です。
「太鼓」に触れたキッカケ
子どもの頃から太鼓に触れていたのでしょうか?
父の影響で1歳半から太鼓を叩き始めました。
父は1980年代から太鼓奏者として活動をしており、現在も現役の太鼓奏者です。
幼少期は父の仕事の関係で半年程アメリカのロサンゼルスに住んでいたことがあり、現地で父が指導をしていた太鼓チームの練習によく遊びに行っていました。
そこで、僕はおもちゃの太鼓を叩いていたのですが、リズムがテンポにぴったり合っていたというエピソードを父から聞きました。
当時2歳のことです。
その後、8歳で横浜都筑太鼓に入団しました。
2014年に退団するまで、中心メンバーとして数々のイベントに出演してきました。
小さい頃からずっと太鼓に触れてきたのですね。
ただ、太鼓だけではなく、太鼓と並行して3歳から児童劇団でダンス・演技・アクション・殺陣などをしていました。
4歳から劇団テアトルアカデミーに所属し、子役として映画や『ヨドバシカメラ』などのテレビCM、TVドラマ『鈴木先生』、バラエティ番組『グッド・ティーチャー』など多数出演しました。
「太鼓パフォーマー」を仕事にした経緯
いつ頃、どのようなキッカケで太鼓を仕事にしたいと思ったのでしょうか?
太鼓のプロになろうと決心したのは16歳のときでした。
中学生からイベントで父とステージで共演をするようになり、高校生から父とイベントの世界ツアーを回ることもありました。
ただ、当時は舞台に立つことは好きだったのですが、まだ太鼓で生きていこうとは思っていませんでした。
太鼓と並行して芸能関係の仕事をしていたこともあり、太鼓かダンスか、それとも全く違う仕事なのか、いろいろな選択肢で悩んでいたのです。
大きな舞台で輝かしいアーティストのみなさんと数万人のお客さんを盛り上げるJ-POPの仕事も好きだったため、そんな世界に憧れていました。
以前は、僕自身、太鼓は伝統的な打楽器というイメージを持っていて、大きな舞台で太鼓のパフォーマンスをしたことがなかったので、自分が関わりたいと感じている世界とは別の世界なのだろうと知らず知らずのうちに一線を引いていました。
そんな悩んでいたとき(当時2013年)、父に『ももいろクローバーZ』から日産スタジアムでのライブ出演の依頼がありました。
僕も手伝いでライブに行ったのですが、満員の日産スタジアムのステージで太鼓を叩く父の姿を見て、「太鼓でもこんな世界を見ることができるんだ…」と刺激を受けました。
どんな舞台にも立つことができると太鼓の可能性を感じた瞬間だったんです。
希望も不安もありましたが、自分がどの道だったらこの先勝てるかを考えたとき、太鼓という道だと感じ、進むことを決めました。
太鼓の道へ進む上で挫折や困難に感じることはありましたか? もしあった場合、どのように乗り越えましたか?
もともと習い事として嫌でも太鼓を叩かなければならなかったので、正直太鼓はあまり好きじゃなかったんです。
親が太鼓奏者ということもあり、小さい頃から家で叩いてきたため、「好き」よりも「太鼓を叩くのが当たり前の環境」という気持ちでした。
なので、今となってはおかしな話ですが、太鼓を好きになることが僕にとっては努力のいることで。
そして、「太鼓を叩かせていただくために仕事を得る」という意識に変えるのはかなり大変なことでした。
挫折は特にないのですが、僕自身あまりメンタルが強い方ではないので落ち込むことはよくあります。
でも、寝たら忘れてしまいますね(笑)。
「太鼓パフォーマー」の楽しさ、つらさ
「太鼓パフォーマー」の活動をする上で、どんな場面に楽しさややりがいを感じていますか?
演奏で得られる爽快感・達成感、そして、お客さまからの拍手や声援は仕事のやりがいに繋がります。
また、仲間と一緒に音楽ができるのは大きな喜びですね。
逆につらいな、大変だな、と思うことはありますか?
エンターテインメントの仕事はどれも同じかと思いますが、安定とは全く無縁の仕事です。
そのため、今は特につらいことや大変なことの方が多いですね(笑)。
精神的な強さ、体力的な強さが必要な仕事ですし、何事もですが覚悟を持って仕事しなければならないと思います。
「太鼓パフォーマー」としての目標
どのような想いを持って太鼓パフォーマーの仕事に取り組んでいますか?
僕が願うのは「世界中の人が日常の中で太鼓を聴く世界」です。最近では、世界中に和太鼓が普及しています。
ですが、今以上に多くの人へ聴いてもらえるためにも、よりカッコよく、より感動的に気づいたらノッてしまう「太鼓音楽」を届けたいという想いでパフォーマンスをしています。
ぜひ、みなさんにも“TAIKO MUSIC”を聴いてほしいです!
今後、「太鼓パフォーマー」として目指していることを教えてください。
現在のコロナ禍により、今後はより確実にネット社会が加速していくと考えています。
これまで、戦後80年近く芸能舞台として栄えてきた和太鼓業界が一気に進化しなければならない時期に来ていると思います。
電気を使わない楽器であり世界一大きな音が出せる和太鼓を、プレイヤーやリモコンのボタン一つで音量調節できてしまうこの時代にどのように魅力を伝えていくか。
そして、どのように時代に合わせて対応させていけるのか。
「新しい太鼓のカタチ」を探していきたいと思っています。
好きを仕事にしたい人に向けてメッセージを
最後に、好きを仕事にしたい方へメッセージをお願いします。
これまで好きだと思い続けてきた物事を仕事にするのは、つらさ・苦しさを乗り越えていく覚悟がとにかく必要です。
好きな気持ち以上にそういったマイナスの気持ちが生じるかもしれないからです。
もしかしたら、嫌いになってしまう可能性もあります。
仕事にするということは、何十年という長さで続けていかなければならない。
その中で、より好きになれるのか、マイナスな気持ちの影響で嫌いになってしまうのか、それは覚悟の部分が大きく影響してくるでしょう。
たとえ嫌いな部分があったとしても、覚悟を持っていればより好きになれることもあると思います。
より好きな物事を好きになれるような活動をしていけたら素晴らしいですね。
一彩さんに聞く、太鼓の3つの楽しさ
1. 唯一無二
日常生活では感じることのできない音圧は唯一無二の音です。
2. 誰でも楽しめる
楽器の中でもメロディーがないため、世界中 誰でも簡単に演奏を楽しむことができます。
音楽のパワーを感じられる楽器です。
3. 無限の可能性がある
最近は太鼓の音が心臓にいいと医学的に証明されたり、体全身を動かすことでスポーツや脳トレにもなったりと無限の可能性があると思っています。
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