漫画家になるために才能よりも大切なこと【漫画の持込ってどんなイメージ?】
みなさんは「漫画の持込み」というとどんなイメージがあるでしょうか?
持込みとは完成させた原稿を出版社の編集者さんに見てもらい投稿する前にアドバイスがいただけると言うものです。
漫画家志望の人はおそらく一度は経験するであろう持込み。
最近ではWeb持込みなど、オンライン上で編集者さんとやりとりできるという機会も増えてきました。
今回は私が昔持っていた持込みに対するイメージと、その変化についてお話ししたいと思います。
どのような心持ちで持込みにのぞめばいいのか、参考にしていただけるとうれしいです。
私のはじめての持込み
私が21歳の時(12年前)、漫画家になろうと決意して最初にとった行動は、編集部に電話して持込みの予約をすることでした。
(まだ作品も描き上げてないのに…笑)
本気で目指し始めることをためらっていた自分を奮起させるために、後には引けない状況を作ってしまいたかったんです。
そうして大学3年の春休みを利用して、生まれて初めて漫画を1作描き上げ東京へ。
正直ぐっずぐずのデキです。
それでも「荒削りの中にキラリと光るものがある!って絶賛されないかなー」とか、今思えば恥ずかしくなるくらいのポジティブさでした。
それと同じくらい、
「才能ないから諦めた方がいいって冷たくあしらわれたりするのかな・・・」といった
ネガティブさも同時に持ち合わせていました。
そんな期待と不安を胸に勇気を出した初持込でしたが、ひとことで言うと「可もなく不可もなく」といった感じでした。
それもそのはず。
一歩踏み出す事を目的に練習もせず短期間で描き上げた作品です。
雑だし雑だし雑だし・・・。
「もっと時間をかけて描きましょう」というようなアドバイスしかしようがないクオリティでした。
結局それを投稿するのはやめ、初投稿は大学を卒業してからでした。
当時私が持っていた持込みのイメージ
当時の私は「持込みは編集者さんに才能があるかないかを見極めてもらうためのもの」というイメージがありました。
そばに漫画家志望の知り合いもいないし、テレビやドラマなどのフワッとしたイメージしかなかったんです。
もちろんそういう側面もあるにはあるのかもしれませんが、でもそれは早くも才能を発揮することができたほんの一握りのパターンだと思います。
私自身、編集者さんに「この漫画で描きたかったことはなんですか?」と質問された時、
「あぁ私の漫画は何が言いたいのかわからないくらい下手なんだ」
と自分の才能を否定された気分になって萎縮してしまい、うまく答えられないことがありました。
編集者さんはあくまでも「質問」をしています。
ですが、この時の私は「才能のあるなしを判定されている」というフィルターを通してその言葉を受け取り、勝手に「自分には才能がないんだ」と解釈してしまっているんです。
漫画を描く人はたいてい、今まで自分が見てきた物事、価値観、好みをもとに漫画を描きます。
だから自分が心血注いで描いた漫画は、自分の人格そのものを反映した分身のようなものに感じてしまいがちです。
そんな漫画を編集者さんに見せてあまりいい評価が得られなかった時、まるで自分自身の人格や才能を否定されたような気分になってしまうというのはよくあるパターンだと思います。
この作品の評価と作者の人格・才能は別物!
でもだからこそ、ここは意識的に
「この作品の評価と作者(自分)の人格・才能は別物!」
と切り離して考えた方がいいと思います。
なぜなら自分の人格や人生・価値観をもとに描いた漫画だとしても、たった16〜32pのページ数にその全てを詰め込むことはできないからです。
自分の人格のどこを切り取ってどうやって漫画に詰め込むのか、それがまだうまくできていないというだけの状態です。
そしてそんな発展途上な状態で才能があるかないかなんてどんな敏腕編集者さんだって断定することはできないし、しないと思います。
初めて持込みに行った時、編集者さんに「私は漫画家になれるでしょうか?」という質問をしました。
編集者さんは「今の状態だとかなり厳しいけど、めちゃくちゃ頑張れば可能性はある」と答えました。
今思うとまるで占い師さんに自分の進路を決めてもらおうとしている人のようです。
でも編集者さんは占い師ではないので、あくまでも現時点での作品を見ての評価しかできません。
もちろん中にはすぐに才能を発揮できる人もいます。
でもそこにあぐらをかいて努力し続けなければ漫画家で居続けることもできません。
なので持込みの時点では「才能を見極められる」というイメージは捨てて、ただただ「この作品をもっと面白くするためのアドバイスをもらいにいこう!」というスタンスでのぞむのがいいと思います。
まずは言葉で伝えてみる
デビュー後の今でも相変わらず、
「この漫画で描きたかったことはなんですか?」
という質問はされます。
むしろ、されない時はないかもしれません。
私の過去の投稿作を読んだことがある方ならご存知かもしれませんが、私はそもそもひとつの作品に言いたいことを詰め込み過ぎてしまう癖があるんです。
(現在進行形で研究中です…)
漫画で伝わらないことは言葉で説明するしかありません。
それをうまく伝えられるようになると、
「それを伝えたいのであればこれを説明するシーンが必要です」とか、
「このシーンがあることで話の軸がぶれてしまっています」とか、
もっと具体的なアドバイスをいただけます。
そしてそのアドバイスを反映させてネームを直してみると、必ずと言っていいほど漫画のクオリティが上がります。
(そのたびに担当さんってすごい…って思います)
全く同じ「この漫画で描きたかったことはなんですか?」という質問でも、受け取る側の解釈や受け答えによって得られるアドバイスがここまで違ったものになります。
特別な才能よりも大切なこと
漫画で伝わらなかったことに落ち込んで、自分には才能がないのかもしれないと思っていてもその作品は面白くなりません。
それを素直に受け止めて変化させることができた時、大幅なレベルアップが見込めます。
未熟な部分を受け止めてそこを変化させていく。
これは漫画家としてデビューした今でも何も変わりません。
毎日毎日、自分の未熟さを実感する日々です。
でもそんな繰り返しさえも楽しんで続けていけるのなら特別な才能なんて必要ないと信じています。
まとめ
漫画家志望を続けるか、別な道を探すか、進路に迷いがあるときであればあるほど「漫画家になること」がゴールのように感じてしまいます。
「自分には才能があるのか?」
「才能がないなら早く諦めた方がいいんじゃないか?」
という不安にかられます。
だから過去の私はついつい編集者さんの言葉を、「才能のあるなしを判定されている」というフィルターに通して解釈し、その夢を諦めるか諦めないかの指標にしようとしてしまっていたんだと思います。
心血注いで描いた自分の漫画というのはなかなか客観視するのが難しく、どうしても独りよがりな作品になりがちです。
前回のコラムでもお話した通り、漫画は自分の中だけでなく、読者さんに読んでもらって初めて成立するものです。
その作品をもっと面白いものにするためには絶対に客観的な意見が必要なんです。
そして才能があるかないかは結局、努力し続けてみないとわかりません。
だから目指し始めたばかりのうちは「自分には才能があるかどうか?」ということはあまり気にせず、シンプルに「自分がやりたいかどうか」という気持ちを大切にしてみてください。
私自身、まだまだ新人なので、人気漫画家になる方法はわかりません。
でも長い期間夢を追いかけ続けることには自信があります。
私がブログやYouTubeでさまざまな発信を始めたのは、同じように夢を追いかける人達と情報共有ができたらいいなと思ったのがきっかけです。
YouTubeの生配信は不定期ですがコメントいただければリアルタイムでお返事しますのでぜひお気軽に遊びに来てください。
そして漫画家志望時代から運営している個人のブログでも様々な発信をしてますので、こちらもぜひご覧ください!
→www.mizoguchinano.work