陸上選手に必要なこと・求められること

短距離や長距離で成長するために必要なこと

努力して才能を開花する

「天才とは、1%のひらめきと99%の汗」と言ったのは、発明王のエジソンです。

エジソンは、さまざまなインタビューで、努力することの大切さを語ったと伝えられています。

もちろん努力の大切さは、陸上選手にも当てはまります。

ひたすら努力することで、持って生まれた才能を伸ばしていくことが、選手としての活躍につながります。

努力するから日本のトップ選手になれる

たとえば、小学生の頃、クラスで目立って足の速い選手がいても、それだけでは、将来、陸上選手にはなれないでしょう。

小学生のころ、足の速い選手が、その後、中学や高校のクラブ活動で努力をし続けることで日本を代表する短距離選手に成長していきます。

とりわけ短距離走の選手として、持って生まれた才能を開花させるには、まず、肉体と心を鍛えることとが大切です。

そして、自分に合ったフォームを身につけること、さらに自分に合ったレース戦略を練ることが必要になります。

そもそも、走るということは、とても単純な運動です。

しかし、単純な運動だからこそ、技術的には奥の深い競技です。

短距離走とは、もともと足の速さに恵まれた選手が、努力して自己記録を伸ばしていくことで、いかにトップランナーとして生き残っていくかの戦いといえます。

長距離走は、より努力の割合が大きい

長距離走や、走り幅跳び、走り高跳び、ハンマー投げといったフィールド競技も、基本的には、持って生まれた才能をひたすら努力することで伸ばしていきます。

しかし、短距離走と比べれば、長距離走やフィールド競技は、より努力の部分が大きな割合を占めるといわれています。

実際に、学生時代にそれほど目立った成績を残していなかった選手でも、社会人になって以降に頭角を現すことがよくあります。

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マイペースに練習して大成した選手も

自分に合った努力で成長した川内選手

マラソンで有名な川内優輝選手は、高校時代、県大会レベルの選手でした。

全国大会に出場した経験もなく、多くの高校生ランナーの一人でした。

しかも、陸上の強い高校だったため、練習がハードで、故障ばかり繰り返していたそうです。

学習院大学に進学すると、陸上部の方針が「自主性を重んじる」というものでした。

ハードな練習は週に2日だけで、あとは選手個人のペースに任されました。

川内選手は、自分のペースで、自分のいいと思った練習法で努力しました。

すると、タイムがどんどん伸び、関東の大学ではちょっと知られた選手になりました。

学習院大学のチームとしては箱根駅伝に出場できませんでしたが、川内選手は、「学連選抜」の一員として2度本大会に出場しました。

2007年が6区を区間6位、2009年が6区を区間3位という成績でした。

川内優輝選手が行った工夫

川内選手は大学卒業後、埼玉県庁に就職しましたが、陸上部がありませんでした。

そのため、仕事をしながら「市民ランナー」として大会に出場をつづけました。

練習の時間は短いけれど、集中して練習を続け、23歳の時、東京マラソンで、2時間8分台の日本人トップでゴールして、世界陸上のマラソン代表に選ばれました。

高校や大学で華々しい活躍ができず、卒業後は、陸上競技を諦める人が多くいます。

でも、市民ランナーとしても、自分に合った努力を工夫し続けることで才能が開花します。

そして、才能が開花すれば、日本を代表する選手になることも可能なのです。

その後、川内優輝選手は2018年にボストンマラソンで優勝。

その優勝賞金である約1600万円を活動資金として、プロランナーに転向しました。

早稲田大学時代からその才能を認められ、東京オリンピックの男子マラソン日本代表に内定した大迫傑選手とは、まったくちがう成功例といえます。

跳躍や投てき種目は、技術力がカギ

跳躍や投てきの種目は、成績に、技術的な部分が大きなウェートを占めます。

それだけ質の高い指導を受け、体と心を鍛えたうえで、技術習得のために努力した人が一流選手として勝ち残っていきます。

陸上競技は、どの種目も運動としてはシンプルです。

しかし、シンプルだからこそ、ごまかしのきかない競技といえます。

それだけ、自分や種目に合ったきめ細かな努力が求められています。