人の人生に本気で向き合える仕事。一生チャレンジし続ける!
看護師佐藤 貴幸さん
1977年、北海道士別市生まれ。看護学校卒業後、士別市立病院に看護師として就職。自らの力で内視鏡センターを立ち上げ、現在は経営戦略室副室長として病院経営にも携わるなど、常にチャレンジを続けながら「地域医療の再生」に精力的に取り組んでいる。
座右の銘:何事も本気でやるから楽しくなる
現在はどんなお仕事をされていらっしゃるのですか?
正看護師として、北海道士別市の病院に勤務しています。僕はちょっと特殊な肩書きを持っていて、さらに「内視鏡センター長」かつ「経営戦略室副室長」でもあるんです。
もともと看護師として就職したのですが、「内視鏡のプロにならないか?」という話があり、ずっと内視鏡の勉強もしていて。「病院で一番大きな部門にしよう」という気持ちで、内視鏡センターを自分の手で作り上げました。
そして33歳で内視鏡センター長になり、医師のコントロールやマネジメントをする権限をもらいました。
看護師になろうと思ったきっかけはどんなことだったのでしょう?
僕は、小学生の頃から重量挙げを続けていたんです。全国大会では2度優勝するほど本気で、高校卒業後には大学に進み、その道を究めるつもりでした。ですが、高校3年生の春に大怪我をしてしまい入院。「重量挙げは5年間禁止」となってしまって…。
突然のことで「さあ、どうしたらよいものか」という状態だったのですが、怪我で入院中に男性の看護師さんを見たことなどをきっかけに、看護師を目指してみようと決意しました。
学生時代はどんな性格でしたか?
学校の先生に「看護師を目指す」と言っても、「お前には無理だ」と言われるくらいやんちゃな性格でしたね。勉強はそれなりにはできたのですが、とにかくやんちゃ。
ただ、重量挙げの世界では、全国大会に初出場したときに優勝したんです。なので「絶対にこのポジションからは落ちられない」という使命感をずっと持っていました。そのあと「怪我」という挫折から立ち上がって新たな道に進めたのは、自分の強気な性格も大きかったと思いますね。
看護師のお仕事は、どのような勤務時間になっているのですか?
看護師の勤務時間は、一般的な会社員と同じような「日勤」のほか、夕方16時半から0時半ごろまでの「準夜勤」、0時から朝の9時ごろまでの「深夜勤」という3パターンがあって、それぞれ交替で働いています。
深夜勤の日は昼間に寝るしかないので、たしかに不規則な生活と言えますね。ただ、すぐに慣れるものです。むしろ、平日の昼間にしかできないことができたりするので、看護師の特権かなと思うこともあります。
また日勤と夜勤での仕事の違いですが、基本的にやることは同じ。ただ、患者さんが受診したり入院したりするのは昼間が多いので、どうしても日勤のほうが仕事内容は多いです。ですので、昼と夜で看護師の人数はもちろん違います。
病院によっては2交代というところもありますよ。日勤と夜勤という勤務形態で、夜勤は夕方から翌朝まで。2交代のほうが一回の夜勤時間が長く過酷ですが、その分休みが多くなります。
連続した休みをとれば、毎月温泉旅行なんてこともできますし、ちょっと韓国や台湾などといった近場の海外も行けちゃいます。
内視鏡に関わるお仕事は、どんなことをされていらっしゃるのでしょう?
朝8時ごろ病院に行き、17時ごろまでずっと内視鏡検査をしています。検査室は複数あるので、それぞれの動きをコントロールしたり、医師と組んで治療の手助けに入ったり…。難しい治療の場合は僕が行います。
夕方からは会議に出ることが多いですね。はじめにお話した通り、僕は「経営戦略室副室長」で病院の経営にも携わっていて。自分で内視鏡センターを作り上げる際にいろいろなノウハウを得て、病院の稼ぎ頭にもなったこともあり、経営についても任されるようになりました。
戦略室のポジションは2番目ではあるのですが、年齢は僕が一番若いんですよ(笑)
看護師のお仕事の魅力や、やりがいを教えてください。
看護師は、患者さんにもっとも近い存在です。たとえば入院患者さんが具合悪くなったとき、患者さんが最初に頼るのは看護師です。さらに、病気だけではなく、生命の誕生から死を迎えるところまで。つまり、人の人生に本気で向き合える…こんな仕事は、他にあまりないんじゃないかと思います。
また、僕が現在やっている内視鏡の仕事は、いかに“がん"を見つけ、いかに早く“がん"をとるかという、いわゆる「予防医療」。
看護師は予防医療にも大きく関わっていて、たとえば薬剤師との間に入って患者さんにわかりやすく薬の飲み方を教えたり、生活するうえでの注意点を説明したりするのも、大切な仕事です。患者さんと一番近くで深く接することができるのは、看護師の仕事ならではですね。
看護師に向いている人や、必要な素質はどんなことだと思われますか?
看護師になりたいという気持ちがあり、人として真っ直ぐであれば大丈夫だと思います。あと、人と深く関わる仕事なので「人が好き」であることは必要ですね。人の人生を左右することもある仕事なので、どうしても人が好きでないと。
もちろん、医療は進歩していきますし、勉強はずっと続けていかないといけないですけれども。勉強があまり好きではない人でも、おのずと勉強するようになっちゃうもんです。医療ってやればやるほど奥が深く面白いんです。
お仕事で大変なことを教えてください。
病気だった患者さんが元気になって「ありがとう」と言われるのはとてもうれしいことですが、どう頑張っても100%の人が助かるわけではありません。
人が亡くなるところに立ち会うのは、つらいときもたくさんあります。がんの患者さんがいたとして、家族から「本人に告知しないで」と言われていても、患者さん本人から「何ともないと言うのに、なんでこんなに検査があるんだ?」と言われ、板挟みのような状態になることもあります。
また、医師はあくまでも病気を治すのが基本ですから、亡くなった方の家族の精神的なケアは、看護師がしなければなりません。人のことだからこそ、真剣に向き合う必要があるんです。
これは、看護師の腕の見せどころでもありますね。
地方と都会の看護師の違いや、状況を教えていただけますか?
看護師も医師と同じで、最先端の医療を行う都会の病院には若くて元気な看護師が集まりますが、地方の病院には、ある程度年をとってUターンした看護師が集まっています。
いま、どの病院も「看護師不足」と言われています。患者さん7人に対して看護師1人が受け持つ「7:1」の看護が理想とされているのですが、地方病院はだいたい「10:1」なんですね。
どの病院も7:1をとりたくても、看護師はどうしても中央に偏ってしまう。もちろん東京であっても、すべての病院が満足に7:1となっているかというと、そうではないのが実情です。
ちなみにこの先は、国の方針で病院の区分けがハッキリしていくでしょう。最先端の治療をする病院、リハビリをする病院、療養をする病院…など、分けられていくプランができ始めています。
今後の目標を教えてください。
僕は「地域医療の再生」を目指しています。わかりやすく言うと、「都市部の病院には何もしなくても患者も医者も集まる。でも地方は、患者はいるけれど、医師も看護師も減っている。それをどうやったら防ぐことができるか?」ということ。
都会にいけば良い治療ができるし、その病院を紹介するのは簡単です。でも、患者さんや家族がそこまで通うのはものすごく大変。ですから、自分の住んでいる地域で都会と同じ治療ができるように、どこにいても同じ医療ができるようにしたいんです。
そのためには、一流の医師を引っ張れば良いわけで、僕はすでにそれを実行しています。この想いやビジョンを話すと力になってくれる先生もたくさんいて、現在も東京の有名な先生方に、毎週来てもらったりしています。
お仕事以外の楽しみはありますか?
いまも重量挙げを続けていまして、北海道代表の社会人として10年連続で全国大会に出ているんですよ。また、病院で野球チームを作って活動もしています。北海道の市立病院大会では準優勝しました。
あとは、スタッフみんなお酒が好きなので、昨日もおとといも飲みましたね(笑)。士別市は、日本海もオホーツク海もどちらも車で1時間くらいの距離。魚介類や、ジンギスカン…。いろいろ食べれますよ。
最後に、学生のみなさんにメッセージをお願いします。
僕は重量挙げで若い子にも教えたりしているのですが、どうも逃げ腰といいますか、自分で扉を開けたり挑戦したりする勇気がないなと感じるんですよね。無理はしなくていいけれど、積極的に「まずやってみる」というチャレンジ精神を持ってほしいです。失敗は誰でも絶対するものなので。
どんなことでも一歩踏み出すことができるかどうかが、成功するためのひとつのカギだと思います。僕もまだチャレンジし続けている途中です。終わりはありません!
(取材・文:石原 桃子)
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