どうして日本語を教えるのか? 日本語教師になった理由
やりたいことがある人。
やりたいことがまだ見つかっていない人。
とりあえず今の仕事をしている人。
就職先を見つけたり、転職を考えている方はいろいろな悩みがあると思います。
私は大学を卒業する頃、やりたいことが無くて悩みました。
そして、とりあえず大学で学んだことの続きで、化学薬品の会社で働くことにしました。
どんな仕事も同じだと思いますが、自分がどうしてそれをするのか、誰のために、何のためにそれをするのかが分かった時、自分の仕事にやりがいを感じることができるのだと思います。
どうして日本語教師になったのか
私は大学を卒業してとりあえず化学薬品の会社で働いていましたが、どうしても海外に行ってみたいと思うようになりました。
どの国に行くのかは決めていませんでしたが、旅行とか留学とかではなく、その国に住んでみたいと思っていました。
そこで、海外で何をしようか考えているときに、日本語教師という仕事を見つけたのです。
始めは私にとって日本語教師という仕事は海外に行くための手段でしかありませんでした。
日本語教師として海外に行くために、化学薬品の会社で働きながら、週末に日本語教師養成講座に通いました。
養成講座では日本語について今まで知らなったこと、気づかなかったことを毎回教えてもらって、とても充実した1年を過ごすことができました。
養成講座修了後に日本語学校からの紹介でニュージーランドとオーストラリアに行くことになりました。
そこで、日本語を教えているうちに、日本語を教える仕事が面白くなって、日本に帰っても続けたいと思うようになりました。
しかし、残念ながら就職した日本語学校が倒産してしまい、私は日本語教師を続けることができなくなってしまいました。
それから製薬会社で仕事をして、20年の年月が経ちました。
それでも日本語を教える仕事をいつかもう一度したいという思いは持ち続けていました。
日本語教師の仕事から離れていた20年間
私はずっと派遣社員として製薬会社を転々としています。
興味のなかった製薬会社の仕事もこの20年で自分の役割を見つけることでやりがいを感じるようになりました。
いろいろな会社を転々とする中で、文化は国だけではなく、それぞれの会社にもそれぞれの文化があることに気が付き、たくさんの人に出会うことでいろいろな考え方を学ぶことができました。
また、発達障害の子供の育児をする中で、教育や心理学といった今まで興味のなかった分野も勉強するようになりました。
コミュニケーション能力、異文化を受け入れる、教育学、心理学、などを実生活で体験するうちに、この20年間の仕事と日本語教育と育児の経験すべてが一つに繋がり、日本語教師をもう一度やる決心をすることができました。
そして、2019年独学で日本語教育能力検定試験に合格しましたが、徳島には日本語学校がないので、自分で教室を開くことにしたのです。
私にとっての日本語教育とは
20年前は日本語を教える仕事につけたら、製薬会社の仕事は辞めようと思っていました。
でも、今は製薬会社の仕事にもやりがいを感じているのでずっと続けたいと思うようになりました。
だから、日本語教室を立ち上げた時、今の仕事と日本語教師を両立させることに決めました。
また、日本語を教え始めた頃は徳島に住んでいる外国人に日本語が上手になってもらいたいと思っていました。
でも、今はそれだけじゃ足りないと思うようになりました。
日本語を教えていると学習者からいろいろな声を聞きます。
差別を受けた、悪い言葉を投げられた、誰も助けてくれない。。。
このような学習者のいろいろな言葉を聞くうちに、私は日本人が変わらなければこれ以上何も変わらないと思うようになりました。
うわべだけの”おもてなし”や国際交流ではなく、人と人のつながりをもっと深めるべきだと思います。
だから、その懸け橋になれるような日本語教師でありたいと思うようになりました。
外国人には日本語でコミュニケーションを取れるように、そして、日本人には日本語や異文化を受け入れることの面白さ、そして、日本語で外国人とコミュニケーションが取れるということを知ってもらえるように、自分にできる事をこの徳島から少しずつ始めていくつもりです。
これは今、私が思い描いている日本語教師像です。
日本語教師は大学、小中高校、ボランティア、オンライン日本語教師、日本語学校など活躍できる場所はざまざまで、求められてることも多様です。
だからぜひ、あなただけの日本語教師像を見つけていただきたいと思います。