大学時代の助産専攻に合格するまでと助産実習の思い出
これから助産師を目指す方は、大学で専攻する方法と助産師学校に行く方法とがあると思います。
私自身は大学にて助産を専攻しました。その時の経験をお伝えしたいと思います。
少しでも学校選びのなどの参考になれば幸いです。
助産専攻するまで
まずは大学生活と助産専攻するまでの流れを少しお伝えしていきたいと思います。
地元からは離れ、一人暮らしをしながら大学生活を送りました。
1年生の時は、一般教養などが主で、少し医療の授業がある程度でした。
2年になってキャンパスを移動し、看護に関する授業が本格的に始まり、ちょっとした実習も行われました。
3年になり、本格的に看護実習が実施され、3年生の時に、助産専攻をするための試験が行われました。
大学によって異なるとは思いますが、私の大学では、看護学部の生徒は70名おり、助産を専攻できるのはその中の6名のみでした。
専攻希望が30名ほどおり、選抜のための試験が行われました。
試験内容としては、まずA4用紙30枚程度のレポート提出の課題が出され、その後面接が行われました。
選抜には看護学のテスト結果や成績も加味されたようでした。
現在の大学での専攻方法の詳細は分かりませんが、当時は狭き門であり、選抜から外れてしまった方は、もう一年助産師学校へ行かなくてはなりませんでした。
私の学校では70名中6名でしたが、学校によっては20名ほど専攻できる所もあるようなので、学校選びの際はよく調べて受験してください。
助産実習について
では助産実習についてお伝えしていきたいと思います。
4年制大学での助産実習は4年生の夏休みに行います。
4年生の夏休みというと、当時他の学生は卒論の準備をしたり就職活動をしたりしていました。
私たちは夏休みをフルで使って、助産師試験の受験要件である10例の分娩介助を行わなければならず、毎日がとにかく忙しかったのと、オンコール待機で緊張していたのを覚えています。
あまりの忙しさと、分娩にいつよばれるか分からないのとで、当時の助産専攻メンバー6人とも毎日学校に寝泊まりしていました。
炊飯器などを持参し、メンバー全員で合宿のような感じで過ごしていました。
オンコール待機というのは、分娩介助させていただけそうな患者さんがいたら、病院から連絡をもらって病院にかけつける、といったものです。
それを逃すと、次の分娩介助をさせてもらえるまで再び待たなければいけなかったので、短い夏休み期間で6人全員が10例の分娩介助を行うには、絶対に電話に出て駆けつけなければならなかったのです。
オンコール待機の際は、いつ電話がかかってくるか分からないので、常に緊張していましたし、夜に呼ばれることも多かったので常に寝不足でした。
また、分娩介助後には毎回振り返りというものを行うのですが、そのレポートの量もとても多かったですし、合間には分娩介助の練習を行っていたので、オンコール待機以外も常に忙しかったです。
分娩介助に呼ばれて病院に着いたらすぐに情報収集を行い、妊婦さんのリスクなどを加味しながらアセスメントします。
これも当時は本当に難しかったです。
分娩介助自体は、常に学校の先生に見守ってもらいながら行うのですが、学校の先生も怖かったので常に緊張し続けていました。
といった感じで、助産実習は毎日が戦いでした。
今となっては、学生の時に頑張って良かったと思っています。