認知症の行動にイラつく気持ちを抑える3つのこと
「認知症の行動には意味がある」「認知症は病気。だからその人を責めない」と教えられても、その行動にイラついてしまうことがあります。
いざ、そうなっても冷静でいられる心の持ち方を提案します。
「怒りっぽい人」だった私
もともと私は「怒りっぽい人」でした。怒りの感情がすぐに顔や言葉に表れてしまうし、扱いずらい人間だと上司から言われたこともあります。
そんな性格を直さないといけないと思ったのは、一人の後輩のふるまいを見てからでした。
彼はいつも冷静で、穏やかな人でした。
私がしばしば衝突する上司の言葉にも素直に耳を傾け、行動していました。
やがて彼は、私を差し置いて昇進していきました。
私は悔しさよりも「彼なら当然だろう」という気持ちでした。それだけ人格者でした。
と同時に、自分のふるまいも反省しました。昇進に目がくらんだわけではありません。
人として簡単に怒りの感情をあらわにしてはいけないと思ったのです。
怒りは100%後々後悔する
(怒りを表に出して良かったことなんて一度もなかったな)と自分を振り返りました。
もしかして1回ぐらいはあったかもしれませんが、すぐには思い出せません。
怒りの感情を見せると、その相手とは必ず気まずくなります。
ギクシャクした関係のままでいるのは居心地が悪いですし、関係修復を試みようにも精神的な負担を抱えることになります。
たとえば、謝ろうとしてもプライドが邪魔したりします。「引っ込みがつかなくなる」のです。
また、たとえ自分のプライドを抑えて謝ったとしても、相手が許してくれるとは限りません。
そうなったらショックですし、「せっかく謝ったのに」と、逆ギレすることになるかもしれません。
人間関係を良好に保つには、怒りの感情は見せるべきではありません。
怒りを見せて、損にはなっても得することはないと思います。
怒りを見せるのは、自分の弱さを見せること
あなたがよく怒るのは、どんな人に対してでしょうか。
私の場合を例に挙げると、妻や子供に対して、です。
家庭はリラックスできて自分の本音をさらけ出せる環境ですが、怒りに関しては私の甘えがそうさせているのではないか、と思うようになりました。
怒りの対象となるのは「怒っても許してくれる」「自分の立場を脅かさない」人ではないでしょうか。
たとえば、直属の上司や街ですれ違うガラの悪い人には怒りの感情を簡単に表したりできないものです。
怒りの感情を持っても、それを抑制する気持ち(=理性)が働きます。怒ることで自分が反撃を食らうかもしれないからです。
いっぽう、認知症の人に怒りを見せても、相手は誰にも訴えることができず、忘れてしまうことが多いので、自分に悪影響が及ばない、と思ってしまうのではないでしょうか。
つまり、怒りの感情を表に出す人は自分に甘いし、厳しい言い方をすれば卑怯、と言えるかもしれません。
最後は諦める力
怒りの感情が湧き上がりそうな時、私は「諦念」という言葉を思い出すようにしています。「ていねん」とも「たいねん」とも読むことができます。
「諦念」とは「諦める気持ち」という意味です。投げやりになる、ということではありません。
人は相手が自分の期待通りにふるまってくれないとストレスを感じるものです。相手が認知症の人であればなおさらでしょう。
そういう時は期待しないこと。無理なものは無理。諦めるしかありません。
「諦念」には「悟(さと)る」という意味も含まれます。「諦念」は仏教用語でもあります。
怒りたい気持ちを我慢して諦める。諦めて心を落ち着かせ、冷静な言動を心がける。
これが、すなわち「悟る」ことなのかもしれません。
怒りは人間の感情のひとつであり、コントロールするのは「悟りの境地に至る」と言えるほど難しいことです。
ですから、できなくても仕方ないと思いつつ、目指していきたいものです。
1.怒りは100%後々後悔する
2.怒りを見せるのは、自分の弱さを見せること
3.最後は諦める力
「怒り」のすべてが否定されるべきではありません。
例えば、怒りのエネルギーを「自分を成長させるため」に使うこともできますし、「誰かを守る」など、正義のための怒りは大切だと思います。
ただし、その時の、単なる感情で怒りをあらわにすることには気をつけたいものです。