地方新聞のスポーツ記者のやりがい
私はかつて7年半近く、地方紙のスポーツ記者として活動してきました。
地方新聞というと、その都道府県の記事しか書けないように思われがちですが、運動部と呼ばれるスポーツを担当する記者たちは全国大会も取材するため、各地を飛び回っています。
時には目の前の偉業達成を報道する一方、選手たちの悔し涙に接することも。
今回はスポーツ報道を通じて人間ドラマを伝えていける、地方新聞のスポーツ記者の仕事のやりがいをお伝えします。
全国を飛び回れるだいご味
小さな地方新聞社でしたが、スポーツ強豪県だったこともあり、多くの全国大会の取材をする機会に恵まれました。
大会が全国クラスになればなるほど選手が燃えるのと同じように、記者もやりがいを感じます。
私がかつて在籍した新聞社では、Jリーグのビッグクラブを抱えていたため、優勝にかかわる試合などでは担当記者以外も取材に駆り出されました。
また高校野球は若手部員が交代で担当していたので、甲子園に取材に行くことも。
陸上担当だった私は、インターハイや国民体育大会(国体)も任されていたため、1カ月の半分を出張で不在にすることもありました。
ほかに日本選手権や世界選手権、全国高校駅伝の取材で出張に行っていました。
出張の機会が増えると、他の地方紙や全国紙の記者、専門誌の記者たちと顔なじみとなり、話す機会も増えます。
中でも国体やインターハイは毎年開催地が違います。当たり前ですが観光に行けない分、ご当地料理を楽しみながら、仕事が終わりに記者仲間と情報交換を行っていました。
見込んだアスリートを追いかけられる
大きな大会を取材できるチャンスを得たことで、自分が「この選手は必ず結果を残す」と見込んだアスリートを追いかけて取材できたのも、記者として大きなやりがいでした。
有望選手の情報を得るために、多くの指導者とコミュニケーションを取るようにし、選手の特徴をきめ細かく把握するようにしていました。
中でも思い出に残っているのは、担当だった陸上競技のある種目で、全国中学大会でも優勝した選手が目前で3連覇を達成したことです。
1年生でインターハイに勝った時に、「彼女は必ず史上初の3連覇を達成する」と確信。
それからはできる限り取材に足を運び、成長を見届けるようにしました。
3連覇を果たした時は、やっとこの日が来た安堵したほどです。
その選手は直後に高校記録も更新しましたが、彼女の活躍を通じて、私自身も記者として成長させてもらったと感じています。
現在は新聞社を退社し、別の仕事をしていますが、当時取材していた選手がオリンピックや世界選手権など大舞台で活躍する姿を見るのもうれしかったです。
少人数のハンデも逆手に
部員が最大でも7名程度で、少数精鋭。
とにかく少ない人数で回していたので、1つの競技だけに専念することは物理的に難しかったです。
特に陸上担当はインターハイや国体も取材しなければならず、体操やバドミントン、テニス、相撲など30近い競技について精通しておく必要がありました。
また担当もJリーグやサッカー、ラグビー、陸上、高校野球と分かれていましたが、1年半ほどは陸上と高校野球の担当を兼務しなければなりませんでした。
最後の1年はラグビーをメーンに、陸上、Jリーグと複数の競技を担当していました。
一つの競技に専念できないハンデはありましたが、逆にほかの競技からの学びを活かすようにしました。
例えば高校野球は強豪の公立校だと、監督が転勤で交代するタイミングで県大会で上位に入る傾向にあります。
これはほかの競技でも同様のケースもあり、注意してみておくようにしました。
またスポーツ強豪校の場合だと、競技は違っても有力選手は知っている場合が多いので、競技の枠を超えて選手について取材し、人柄を知るようにしていました。
新聞記者は日々の取材はコツコツと丁寧にしなければなりません。
時には記事が書けずに苦しむことがあります。
しかし地方紙の中でもスポーツの記者は全国の大舞台で取材できるチャンスがあるだけでなく、人間ドラマを追っていけるように、多くのやりがいがあります。
一つの競技に専念して取材できなくてもほかの競技に活かすように、ハンデを逆手にとれれば充実した取材生活を送れるでしょう。