命の最期を見守る看護師は、技術だけでなく「心」も大切
患者さんから見た【看護師】とはどんなイメージだと思いますか ?
看護師は、白衣の天使とも表現されますが、排泄物や血液、吐物などに常に触れ、状態の変化を見逃さないように鋭い観察の目を張り巡らせ、決して『天使』というイメージのような優雅な姿ではありません。
ここでは、患者さんにとって看護師がどのような存在かを考え、そんな中で私が大切にしていること、これから看護師を目指している人にも大切にしてほしいことをお伝えしたいと思います!
患者さんにとっての看護師の存在
その病院・病棟によって色々ケアの方針があると思いますが、ほとんどの病院が夜勤など勤務により1日の中でも、2~3回その日の担当者が入れ替わりながら患者さんのケアにあたります。
そのため、患者さん毎に看護計画が作成され、誰がきても同じ内容、同じレベルのケアを提供できるようにしており、患者さんにとっては同じ医療やケアを提供してくれる人みんなが【看護師】というひとまとめの存在です。
考えてみれば、患者さんが『○○さん』というような個人を指す呼び方をしているイメージよりも、誰をみても『看護師さん』と呼んでいるイメージの方が一般的な気がしませんか?
それは、決して悪いことではなく、みんなが同じレベルの看護を提供できているという評価でもあると考えられます。
私の印象に残っているエピソード
看護師になって2年目に入った頃だったと思いますが、ある患者さんのご家族から、私が単に【数ある看護師の1人】ではなく、【○○さん】という個人として認識していただき、とても胸に残った言葉がありました。
当時、脳外科の急性期病棟で働いていたので、患者さん本人はいわゆる脳卒中で、病院に来たときから意識はなく、いつ命が尽きるかわからないため、毎日ご家族が付き添って最期の一緒の時間を過ごされている状態でした。
3日目頃にはおしっこも出なくなり、血圧も測定困難なくらいに低下して、もはや…という状態でしたが、そこから数日頑張って、夜勤で私が交代して担当になったとき、ついに亡くなられたのでした。
ちょうどそのときの担当として、私はご遺体をキレイにしたのですが、葬儀屋さんの到着までご家族の方と少し話す時間ができました。
ご家族の方が、
『あなたのときに亡くなってよかった。きっと、あなたに最期を看取ってほしくて、あなたが担当になるときまで主人は待ってたと思うのよ。ここに来たときから目をあけることすらしない主人に、優しく声をかけて最期まで温かくしてくれてありがとう。』
と、ひとしきり泣いた後の顔で、まっすぐに私の目を見て穏やかに話してくださったのです。
予想もしなかったご家族からの【私】に対する感謝の言葉をいただき、驚きながらも、『こちらこそ、ご主人の人生の最期に一緒に過ごさせていただいてありがとうございます』と感謝したことを覚えています。
看護師を目指すあなたへ
この頃、私はまだ、先輩たちと同じレベルの看護技術を身につけることに必死な時期でした。
でも、新米らしい初々しさとして、全ての患者さんに対して、例え意志疎通できなくても『人』として敬意をもって接することを大事にしていた頃でもありました。
看護師は命を救うための現場ですが、どうしてもそれが難しく、命の最期を見守る現場でもあります。
看取ることも数をこなしてくると、『人が亡くなる』ことに変に慣れてしまうこともあります。
患者さん一人ひとりへの敬意を忘れるわけではないのですが、仕事に慣れてしまうことで少し失われてしまいがちな、『心』の部分があるんだと思います。
私は、ご家族からいただいた 言葉を大切に、今も、どの患者さんに対しても『たくさんいる患者さんの一人』として接するのではなく、『その患者さんそれぞれの貴重な人生の時間に関わらせていただいている』という敬意を持って接することを大切にしています。
人の『心』は必ず伝わるものです。
どうか皆さんもどんな看護師でありたいか、技術などの目に見える部分よりも『心』を大切にする看護師になってください。
看護師の現場は、和やかでキレイな場面だけではなく、戦場のような緊迫感や汚い場面もたくさんあり、目の前の事態の処理に必死になって、『心』の部分が見失われがちです。
その中で、見た目には『戦闘員』だけれど、『白衣の天使』の名に恥じない『優しく愛に溢れた心』を大切にすることで、よりやりがいの感じられる仕事ができます!
『心』を大切に、一緒に頑張っていきましょう!