テレビプロデューサー石原 真さん

岡山県出身。法政大学 経済学部経済学科(1981年卒)。大学卒業後、日本放送協会に入局。ディレクターを経て、現在エグゼクティブプロデューサーとして活躍中。

座右の銘:くよくよするな

いまの仕事内容を教えてください。

僕は、32年間テレビ制作一筋でやってきました。ディレクターを15年、プロデューサーになって16年経ちますが、ここ10年間は音楽番組を担当しています。レギュラーでは、NHK総合で毎週日曜日の18:10から放送の「MUSIC JAPAN」という若者向けの番組。また、単発の企画番組も作ります。たとえば、ここ数年の音楽界ではアニメソング、いわゆる「アニソン」が熱く、それらをガッツリ特集した番組や、アーティストに密着した番組なども作ります。

さらに、もっとも気合いが入るのが、大晦日の「NHK紅白歌合戦」です。これにもプロデューサーの一人として毎年関わっていますが、だいたい夏を過ぎると紅白に向けての打ち合わせが始まります。NHKが総力をあげて作る番組ですから、気が抜けない日々が続きます。

一日はどんな流れで進むのですか?

僕の仕事に決まった流れはまったくないんですよ。毎日自分の仕事に合わせて動きます。たとえば、今日は朝11時から社内で2本打ち合わせをしたあと、外で「AKB48」のスタッフと次週のロケについての打ち合わせをして、戻ってきたところです。

外での打ち合わせというのは、レコード会社の人や事務所の人とのやりとりが中心ですね。もちろん、ロケに同席することもあります。

プロデューサーの仕事はルーティーンワークではありませんが、強いて特徴をあげるとすれば、「365日、勤務時間も仕事内容も違う仕事」ということでしょうか。ただ、その根底にあるのは、僕の場合「音楽」ということですね。

テレビの世界に入るきっかけは何だったのでしょう?

僕は、小学生の頃からメディアの仕事がしたいと思っていました。本や新聞を読むことが好きで、小学校の卒業文集には「新聞記者になりたい」と書いた記憶があります。小説家になれるような才能があるとは思っていませんでしたが、とにかくメディアの仕事がやりたくて。

また、僕が青春時代を過ごした1970年代というのは、「8mmフィルム」を使った自主制作映画が花盛りでした。いまでは当たりまえのように流し見ているテレビCMも、最新映像技術を使ったりして、ものすごいブームになっていたんですね。

僕自身も映像に夢中になりました。就職活動ではマスコミしか受けず、内定が出たのがNHKと某新聞社だったので、テレビの世界を選びました。

プロデューサーになるまでの経緯は?

NHKは、基本的に新卒局員のほとんどが地方局勤務になります。僕も大学卒業後すぐNHKに入局して、まず鳥取放送局で5年間ディレクターとして働きました。それから東京で10年働き、プロデューサーになってから福岡放送局で3年間単身赴任をしました。そして、東京に戻っていまに至ります。

いまはJ-POP一筋ですが、これまでドキュメンタリーからドラマ、バラエティー、科学番組など、ほぼ一通りのジャンルを制作しました。

メディアの中で、NHKのように全国展開をしている会社は珍しいですよね。地方勤務は嫌だという人もいるかもしれませんが、僕は仕事をしながら色々な場所で経験を積めるというのは、いまから思うととてもいいことだなと思いますね。