テニス選手の役割

日本のテニス人気を支えることも大きな役割

テニス選手の大きな役割の1つに、日本のテニス人気を支えることがあります。

もともと、日本でのテニス人気は、野球やサッカー、ゴルフに比べると劣ります。

ですが、錦織圭選手のように、世界で活躍するテニス選手が出現すると、テニスに対する注目度が一気に上がります。

テニス選手の成績が低迷するとテニス人気も急降下

反対に、テニス選手の成績が低迷すると、テニスへの関心も薄くなります。

たとえば、松岡修造さんがウィンブルドンでベスト8に残った1995年以降、13年間で四大大会に出場した選手がわずか4人。

世界のトップレベルで戦える選手が一人もいませんでしたが、この時期、テニス人気も下がる一方でした。

日本全国でテニスコートが激減した

日本経済が不況だったこともあって、テニススクールの多くが閉鎖されました。

日本テニス協会の調査によれば、1996年から2008年までの13年間で、国内のテニスコートは1万3299ヵ所から8702ヵ所に激減したといいます。

同じ時期に、人気が上昇したのがサッカーです。子ども向けのサッカースクールは、入会の順番待ちをしているのに、テニススクールはガラガラ。

テニスコートが、サッカーコートやフットサルコートに改造されたところも少なくありませんでした。

錦織圭選手が、全豪オープンで日本人として80年ぶりにベスト8に進出し、ロンドン五輪でもベスト8に進出したのは2012年のことでした。

それ以後、錦織選手の活躍に多くの注目が集まり、テニスへの関心も高まっています。

日本のテニス界には100年以上の伝統がある

日本のテニス界には、100年を超えるこうした伝統があります。日本のテニス選手は、その伝統を受け継ぎ、世界の大会でチャレンジし続けることも大きな役割です。

日本に、初めてテニスが紹介されたのは、明治時代の1878年のことです。その40年後の1918年、全米選手権で熊谷一弥選手が、ベスト8に入りました。

さらに2年後のアントワープ五輪(1920年)では、シングルスとダブルスの両方で銀メダルを獲得しました。このメダルは、日本のスポーツ選手がオリンピックで初めて獲得したメダルでした。

同時期に活躍した清水善造は、世界ランクの4位となったこともありました。

1919年のウィンブルドン大会で、足を滑らせて倒れた相手に、ゆっくりとしたボールを返し、観客の大きな拍手をもらいました。このリターンは、「やわらかなボール」として現在まで語り継がれています。