日本の有名な水泳選手-岩崎恭子選手

中学1年で全国大会優勝

岩崎恭子は、1978年に静岡県沼津市に生まれました。

姉が水泳をしていて、「私も泳ぎたい」と5歳でスイミングに入りました。

3歳上のお姉さんも水泳が得意で、地域では表彰台の常連選手。かなりの負けず嫌いだった恭子も、姉を目標に練習に励み、どんどんタイムを伸ばしていきました。

小学生時代の恭子は、長距離走もかなり速かったそうです。陸上の長距離選手にならないかと誘う人もいましたが、水泳で自己ベストを伸ばすことの方がうれしかったそうです。

水泳が楽しくて、せっせとプールに通っていました。

やがて、平泳ぎで全国レベルの選手となり、中学1年の時、全国大会で優勝します。

バルセロナの代表候補に

そして、その翌1992年には、バルセロナ五輪の代表候補として、200m平泳ぎで2人目の代表の座を姉妹で争うことになりました。

母親は「バルセロナは姉で、その次のアトランタ五輪は恭子で」と願っていたそうですが、最終的には中学2年の恭子が代表に選ばれました。

バルセロナ五輪で、恭子は、あまり期待されていませんでした。当時の世界記録保持者のアニタ・ノールとは大きな差があり、世界ランキングも14位でした。

水泳界でも、バルセロナ五輪の経験を次のアトランタ五輪で活かしてくれればいいという雰囲気で、本人も「決勝(8人)に残ればいい方だと思います」とインタビューに答えていました。

14歳で金メダルを獲得

ところが、本番を迎えると、恭子は予選から絶好調でした。

現在からは考えられませんが、オリンピックなのに屋外プールで、恭子はゴーグルもしていません。それでも、予選で後半に驚異的な追い上げをして自己ベストを3秒も縮め、日本記録をマークしました。

恭子も「隣の人(アニタ・ノール)にどんどん追いついちゃうから、すごいビックリして」と話していました。

決勝では、半分の100mを3位で通過。すぐに2位に上がり、先頭をゆくアニタ・ノールに迫ります。

最後の25mで持ち前の持久力を発揮して並び、タッチの差で金メダルに輝きました。恭子の記録2分26秒65は、当時の日本記録であり、オリンピック記録でした。

「今まで生きてきて中で一番幸せです」というコメントも話題になって、恭子は、一躍国民的アイドルとなりました。

現役引退して母親に

その一方で、恭子にとっては、この中学2年での記録が、生涯ベストとなります。それ以後は、どんなに練習に励んでも自己ベストを上回ることができませんでした。

4年後のアトランタ五輪にも出場しましたが、メダルに手は届かず、その2年後、20歳という若さで現役引退しました。

引退後はスポーツコメンテーター、日本オリンピック委員会や日本水泳連盟の委員として水泳の普及と発展に尽くしています。

結婚して子どもも生まれ、最近はテレビのバラエティ番組で見かけることもあります。

少し前、テレビ番組で「今まで生きてきた中で一番幸せだったことは何ですか?」と問われ、「母になったこと」と答えていました。