新聞記者になったきっかけ(体験談)

新聞へのあこがれ

私の卒業した大学は、昔からジャーナリストを多く輩出し、現在も、新聞、テレビ、通信社などのマスコミ界の幹部に卒業生が多く進出しています。そんな関係から、大学3年生の頃から、漠然とジャーナリズムを志望するようになりました。

特に新聞の場合、「社会の木鐸」「第四の権力」と呼ばれ、国民の側に立って時の政府権力を厳しく監視し、チェック機能を持つといわれたことに、強い憧れを持ちました。

憧れだけでなく、入社試験を突破するための勉強にも力を入れました。勉強では、試験で最も重要視される作文・論文に関して、先輩記者による指導が私の新聞記者への志を一層強めたと思われます。

先輩からの指導

先輩による作文指導で心に残っているのは「感動がなければ文章は書けない」という指摘です。新聞記事は、学校や会社のレポートとは本質的に異なります。レポートは文字通り報告書であって、自分の体験したこと、取り組んだ業務の内容を時系列的にまとめることに主眼が置かれます。

しかし、新聞記事の場合は、多くの読者に読んでもらえなければ意味がありません。読んでもらうためには、記事の中に何らかの感動がなければなりません。

感動は、もちろん感激であったり、驚きであったりしますが、それ以外でも、意外な事実、新鮮な事実、新たな発見であったりします。そうした事柄に自分が感動して初めて記事が書けるというわけです。

文章のコツをつかむ

先輩記者のその指摘は、まさに「目からうろこ」のような衝撃でした。たしかに先輩記者による作文指導で、最初は、何か課題を与えられても、なかなか文章を作ることはできませんでした。

しかし、その課題について、さまざまな想像、思いをめぐらせると、自分の体験や知識と関連付けられるある種の感動が浮かび上がってきます。

「そういえば、かつて自分はこんな経験をしたことがある」「学校で学んだ知識はその課題に関連づけると、こんな風に展開できるのではないか」といった形で、自分なりの感動が心にわいてくるものです。

そうなればしめたもの。作文は9割方出来上がったといえます。あとは文の組み立てを考えれば終わりです。

先輩のそうした指導によって、文章を書くのが非常にスムーズになり、さまざまな課題についても、いろいろな切り口による感動が浮かんできて、楽に文章を作ることができるようになりました。

先輩からのアドバイスを大切に

新聞記者の仕事は、記事を作成することだけではありませんが、取材などの場合でも、何か感動することがないかと考えながら、いろいろな角度から質問をしたり、調べたりすることで、読者に感動を与える題材や、記事をものにすることができるようになります。

私の新聞記者へのきっかけは、先輩記者の一つのアドバイスですが、これから記者を目指そうという人たちも、先輩を大いに利用することも大事と思われます。