陸上選手の結婚、出産、子育て

結婚や恋人をもつのは引退後

日本の陸上界には、昔から「恋人ができると成績が下がる」と考えている人が少なくありませんでした。

とくに1990年代までは、30歳になると引退する選手が多かったため、恋人と付き合ったり、結婚するのは引退後と考えられていました。

ミセスランナーの先駆け

その1990年代、資生堂に所属していた長距離ランナーの「鈴木晴美選手」が、同僚の弘山勉さんと結婚しました。そして、結婚後も、ミセスランナーとして競技生活を続けたのです。

夫がコーチ、妻が選手の二人三脚で、1996年のアトランタ五輪から3大会連続でオリンピックにも出場しました。当時、「弘山晴美選手」は、若いランナーの憧れの選手ともなっていました。

弘山選手は、40歳まで現役ランナーとして第一線で活躍し、41歳で出産しました。

ママさんランナーの先駆け

「ママさんランナーの先駆者」と呼ばれるのは、マラソンの赤羽有紀子選手です。

高校時代までは、とくに目立つ選手ではありませんでしたが、城西大学で鈴木尚人監督の指導を受けて力をつけ、ユニバーシアードのハーフマラソンで銀メダルを獲得しました。

大学卒業後、ホクレンに入社すると、3年後、25歳で大学時代の同級生と結婚しました。赤羽選手は、結婚と同時に引退するつもりでしたが、周囲の励ましで、夫をコーチに競技を続けました。

夫の指導を受けて日本のトップランナーへと成長する一方、2006年に女の子を出産します。出産後、再びレースに復帰し、出産から1年3ヵ月後には国際千葉駅伝の代表に選出されました。

そして、日本のアンカーとして走った最終区で、みごとに世界のトップランナーだったヌデレバ選手を逆転して優勝の立役者となりました。

その後もママさんランナーとして走り続け、北京五輪にも5000mと1万mの両方で出場しました。さらに、マラソンに転向し、世界陸上の2009年ベルリン大会と2011年テグ大会の日本代表にも選ばれました。

34歳で走った大阪国際女子マラソンで2位に入ったのを最後に現役引退しましたが、赤羽選手は、むしろ、出産後に日本のトップランナーへと成長し、大活躍しました。

本人の意志と家族の協力があれば続けられる

現在のところ、日本の女子選手が結婚や出産後も、第一線で活躍しているのは長距離ランナーだけです。

しかし、世界的にみれば、短距離はもちろん、投てきや跳躍競技でも活躍している選手がいます。

本人の意志と家族の協力があれば、結婚後も競技を続けることは可能です。

とくに、女子マラソンの世界では、「出産後の方が強くなる」ともいわれており、今後もミセスランナーやママさんランナーの登場が待たれています。