落語家の歴史

江戸時代

落語家の現状や将来性を考えるにあたり、落語はおおむね江戸時代に成立した伝統芸能で約400年にもおよぶ歴史がありますから、大まかな流れを振り返ってみましょう。

まず江戸(首都圏)では安楽亭策伝(あんらくてい さくでん/1554-1642)、鹿野武左衛門(しかの ぶざえもん/1649-1699)。

上方(かみがた/近畿圏)では初代露の五郎兵衛(つゆの ごろべえ/1643?-1703?)、初代米沢彦八(よねざわ ひこはち/?-1714?)という落語家の元祖が誕生しました。

続いて、江戸落語中興の祖といわれる烏亭焉馬(うてい えんば/1743-1822)が、本業の大工職人のかたわら狂歌師や戯作者としても活躍し、料理屋の2階などで落語会を定期的に開催するようになりました。

寄席(よせ)興行としては、1798年7月に上方の岡本万作が江戸の神田にて、時期を同じく初代三遊亭可楽(さんゆうてい からく/1777-1833)が江戸の下谷(したや)稲荷神社にて開催したのが始まりといわれています。

上方寄席の開祖としては、職業落語家の走りといわれた初代松田彌助の門下生であった、初代桂文治(かつら ぶんじ/1773-1815)が挙げられます。

桂派の祖といわれ、現在の大阪市中央区にある坐摩(いかすり/通称ざま)神社境内に初めて常設の寄席を設けました。

その後オチのある滑稽噺以外にも、鳴り物入りの芝居噺(初代三遊亭圓生)、音曲(おんぎょく)噺(初代入船亭扇橋)、仕掛けや人形を用いた怪談噺(初代林家正蔵)、人情噺(初代朝寝坊夢羅久)、色物(いろもの/初代都々逸坊扇歌/三笑亭可上)などへと広がりが生じました。

明治以降

明治時代、東京では初代三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう/1839-1900)という歴史的な名人や、三代目麗々亭柳橋(れいれいてい りゅうきょう/1826-1894)、六代目桂文治(1843-1911)が中心的な役割を果たしました。

同じく上方では、初代桂文團治(かつら ぶんだんじ/1842-1886)、二代目桂文枝(かつら ぶんし/1844-1916)、三代目笑福亭松鶴(しょうふくてい しょかく/1845-1909)といった名人が活躍しています。

1903年(明治36年)には初めて落語がレコードに録音され、速記本とあわせて、寄席以外でも落語を楽しむことができるようになりました。

大正時代には、東京で従来の割(わり/給金制)と月給制をめぐって設立されたばかりの演芸会社が分裂しますが、1923年(大正12年)の関東大震災により「東京落語協会」(現「落語協会」)へと合併しました。

また1930年(昭和5年)には「日本芸術協会」(現「落語芸術協会」)、1957年(昭和32年)には「上方落語協会」が設立されています。

1925年(大正14年)にはラジオ放送、1953年(昭和28年)にはテレビ放送、1966年(昭和41年)には日本テレビ系演芸番組「笑点」が始まり、初代林家三平(はやしや さんぺい/1925-1980)を中心とした落語ブームが起きました。