建築士が誕生したいきさつ

職業としての建築士

日本の歴史上、建築物の設計や監理はもともと大工などの職人がその役割を担うことが多くありました。

ですが、明治時代の開国とともに、建築物の大規模化や複雑化が進むにつれて建築統括者の役割が必要となり、やがて「アーキテクト」と呼ばれる職業が生まれたのが建築士の始まりです。

「アーキテクト」は、厳密には現在の日本における建築士とは異なるもののその意味は近く、一級建築士の英訳として用いられる場合もあります。

制度としての建築士は、その後の建築士法の制定によって生まれますが、職業としての建築士は明治時代における開国時から生まれたということになります。

制度としての建築士

昭和25年、建築士という資格制度を制定する建築士法が成立しました。これによって、現在の建築士制度が法的に整備されたということになります。

本来、この手の立法案は政府(建設省)から発案されるものですが、後に首相となる田中角栄衆院議員が議員立法として国会に提出しています。

当時、各種法案を成立させるためにはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の承認が必要とされていた中で、政府はすでに住宅金融公庫法案、建築基準法案を提出しており、あわせて建築士法案も提出することは実質的に不可能と判断したようです。

これは、一つの法案でさえGHQの承認を経て国会の審議を通すことが容易でない時代にあって、それを三つ同時におこなうことはなおさら容易ではなかったということが背景にあるようです。

そこで、当時、衆参両院によって構成される建設委員会の代表者であった田中角栄が議員立法を引き受けたといわれています。

なお、田中角栄が一級建築士資格登録者第1号であるとよくいわれますが、これは間違いのようです。

田中角栄自身が立法後に「俺を第一号にしてくれ。」と頼んでいたり、他の議員が「建築士の第一号は田中だ。」と言ってしまったために、その話が広がってしまったようですが、実際には審査に時間がかかってしまって登録番号は16,989号となったといわれています。

建築士制度の変遷

建築士資格が誕生したときからすでに一級建築士も二級建築士もありましたが、現在のそれらと比べると難易度が格段に違うといえます。

語弊をおそれずにいえば、資格制定から初期の頃における一級建築士よりも、現在の二級建築士の方が資格試験の難易度で言えば上であると思われます。(そうは言っても、教材やスクールなどの環境の違いがあるので一概に比較できるものではないのですが。)

こうなったのには理由がありますが、シンプルに言えば建築物の意匠・構造・設備のいずれもがより高度かつ複雑になり、加えて建築士の社会的責任が大きく増したためといえます。

それだけ、建築士の仕事はどんどんレベルも責任も上がっているのです。そのため、いまや一級建築士は難関資格に位置づけられ、二級建築士さえも準難関資格の位置にあるといえるのです。