何をやっても上手くいかない1年目
看護師になって1年目は、毎日「辞めたい」と思っていました。
仕事量が多く、自分が思っていたスケジュール通りに終わらせることができません。
毎回先輩の助けを借り、患者さんに迷惑をかけながら仕事をしていました。そんな自分をとても情けなく感じていました。
なぜその治療を行うのか、その薬を投与するのか、そのケアを行うのか、検査を行うためにはどのような準備が必要なのか、知識が追いついていきません。
毎日勉強することが山積みで、毎日自分の知識ではわからない出来事が起こり、毎日先輩からのプレッシャーを感じながら仕事をし、とても強くストレスを感じていました。
「はやくそんなストレスを感じる生活から抜け出したい」と、2年目も半年が過ぎるくらいまでは思っていました。
しばらくすると仕事の組み立て方もわかるようになり、自然と「辞めたい」という気持ちは薄れていきました。
当時はどの先輩に相談しても「2年目になれば楽しくなるからがんばれ!」と言われましたが、嘘ではなかったと思います。
同期の看護師が夢に向かって一歩踏み出したとき
看護師3年目が終わるころから、同期の看護師たちが退職をするようになりました。
保健師になる、養護教諭になる、青年海外協力隊で活動する、大学院へ進学する、結婚する…。
皆、夢に向かって一歩を踏み出すようになりました。
私はなぜ看護師になってここで働いているのだろうか。本当に私がしたいことはなんだろうか。
自分も本当にやりたいことを見つめ直し、一歩を踏み出さなければいけないのではないかと感じるようになりました。
仕事を辞めて新天地で挑戦することも一つの道でしたが、私はこのまま仕事を続け、病棟看護師を究める道を選びました。
目の前にいる患者さんにケアを提供し、それによって患者さんが笑顔になることも、他の仕事とは比べ物にならないくらい素敵な仕事だと思っています。
人の命を背負う責任感に負けそうになったとき
看護師になって4年が経ち、新生児集中治療室で働いていたとき、1,000g未満の赤ちゃんが生まれました。
挿管されて人工呼吸器を使い、小さな腕には点滴が入れられました。
オムツ交換をすると、挿管チューブが気管に当たって呼吸が苦しくなったのか、心拍数などがどんどん下がっていきました。最後にはモニターでは測定できなくなりました。
「このままでは、この子は死んでしまう。」そう思いました。
医師が駆けつけて救命し、心拍数は戻り、呼吸も再開しました。
救命が終わり落ち着くと、私は休憩室へ行き、泣いてしまいました。
私は、自分の行うケアによって患者さんが危険な状態に陥ることに恐怖を感じました。この恐怖は何年働き続けても消えることはありません。
だからこそ日々勉強し続け、技術を磨き続ける原動力になっているのだと思います。