保育士をやってよかったこと(体験談)

執筆者:せんぱい 65歳 女性 経験年数35年

保育士をやって良かったこと

園児の成長(劇的な変化)その瞬間に立ち会えるなんて、素敵。そして、ともに喜べる、それが保育士の醍醐味。「良かった」三つの事例を紹介します。

その①…次郎ちゃん(仮名)が「ちぇんちぇ~」と、言ったのです!
生まれてすぐ、赤ん坊は、泣く以外に「あ~あ」や「ごにょごにょ」と、言葉にならない言葉を発し、自らの意思を伝えようとします。やがて「まんま」等の一語文に変化します。

2才の誕生日が間近な次郎ちゃんは「あ、あっ」ばかり。お母さんも「大丈夫でしょうか」と、心配顔。発語以外に発達上の問題は見受けられないので従来通り、丁寧な言葉がけをし様子を見ることにしました。

数日後「ちぇんちぇ~」と。「えっ?」驚いて振り向くと、そこに次郎ちゃん。つかまり立ちから〝初め一歩〟など、その子の一生日に一度の劇的な瞬間に遭遇することがあります。

このケースも、まさしく、そうでした。「ママ」でも「パパ」でもなく「ちぇんちぇ~」でした。うふっ、ちょっと誇らしく、ちょっと申し訳なさがない交ぜになった保育士の「良かった」なのです。

その②…「かして」が言えた栄二君(仮名)の場合。
2才児クラスを担当していた時です。

「ぎゃー」本棚の方から悲鳴がし「ダメでしょ!」保育士の叱責の大声が保育室に響き、にぎやかだった保育室が一瞬〝シン〟凍りついたのです。

噛む行為は、初期の対応が適切でないと、伝染(!)しがちです。今回がそうでした。大人しい栄二君は、最初被害者だったのです。

勝っちゃん(仮名)に噛まれた彼は学習し、欲しいものがあれば〝ガッブ〟有効な手段を獲得したのですから、使わない手はありません。

あっちで〝ガッブ〟こっちで〝ガッブ〟叱っても、おさまるどころか、他の子に伝染(!)したのです。叱るという安易な手段では、駄目なのだ、と。

まず、お友達の持っているものが欲しい時「貸してって、言おうね」

栄二君の心の動きを察知し、保育士が言葉を添え、お友達との橋渡しを、繰り返し、繰り返し、知らせました。〝噛む〟という手段を使わなくても、手に入る方法を学習したのです。

「じゅんばんこ」や、待つことも学習しました。一ヶ月ほどかかりましたが。ある日「かして」と、言っているではありませんか。「そう、貸してよね」笑顔の、私。

問題と思われる行動には、必ず、原因があること〝叱る〟という安易な手法を使うのではなく問題を見つける〝心の目〟が必要だと実感しました。

園児の変化と「自身の成長」を実感した時でもありました。「良かった」と。

その③…「晃子ちゃん(仮名)が、明日、来るね」って、言ったこと。
三才児クラスを担当した、その春に出会いました。お母さんの離婚で、環境が激変したのです。

転居に伴い幼稚園に入園の筈がまったく馴染みのない保育園に入所。四月で4才になったとはいえ、彼女には、耐え難い不安に押しつぶされそうだったのだと思います。

利発そうな大きな目、ぎゅっと固く口を結び、保育室の隅の本棚の前にしゃがみ、胸に抱えていた絵本は〝ジェーンの毛布〟でした。

その後数日間、硬い表情で本棚の前に。声をかけるたび、返事は、「いいの…」かぶりを振るばかりでした。晃子ちゃんのそばにそっと座り「せんせいも小さい時、毛布が大好きだったの…」と。

すると、晃子ちゃんがまとっていた硬い空気がふっと和らぎ「そうなの?」と。初めて聞いたその声は、澄んだきれいな声でした。

「小さい時、泣き虫だったのよ」と続けると「ふふっ…」微かに笑うではありませんか(急激な環境の変化に心を閉ざしているけれど、本来は、明るく、強い子なのだろう、と感じた一瞬でした。友達になれそう、とも)

四月の誕生会に出席した晃子ちゃん、自分の好きなものを一つ言うのですが「御本が好きです」と。下町の雰囲気が色濃く残っていた地域でした「ごほんって、せきか!」とか「ご本って、なんだ?」

がやがやうるさい男児にちらっと、呆れた風な、大人っぽい視線を投げていましたっけ。

その夕刻、母親と帰るとき「せんせい。明日来るね」と、晃子ちゃん。なんと嬉しい言葉だったことでしょう。心に沿うことで、安心を与えることが出来たとしたら、保育士でよかった、そう思えたのです。

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