有名なバスケットボール選手

日本人初のNBA選手となった田伏勇太選手

「日本人選手には無理」と言われていたアメリカのプロバスケットボールリーグ「NBA」で、初めてプレーしたのが身長173㎝の田伏勇太選手でした。

2015年現在は、日本のリンク栃木ブレックスに所属しています。

田伏選手は、1980年に横浜市で生まれました。小さいころから運動能力が高く、外で遊ぶのが大好きでしたが、母親と姉がバスケットをしていたことから、小学2年のとき、バスケットボールを始めました。

また、そのころから、父親が集めていたNBAのビデオをビデオデッキが壊れるくらい繰り返し見て、世界の超一流選手たちのスーパープレーを脳裏に焼き付けていました。

小学校でも、チームの中心として全国大会に3度出場。中学校の部活動でもバスケットボールに夢中になり、全国大会のベスト4に導きました。

中学3年の頃には全国的にも有名な存在で、テレビCM出演のオファーを受け、ニューヨークでNBAの大スターだったパトリック・ユーイング選手と共演したこともありました。

高校は、横浜から秋田県の超名門・能代工業に進学しました。

1年生からレギュラーとなり、3年連続でインターハイ、国体、高校選抜大会の3大タイトルを制し、史上初の「高校9冠」に輝きました。

能代市の観光ポスターに起用されると、盗難が相次いだというエピソードも残っています。

小柄ながらスピードがあり、大きな選手のデフェンスを交わしてすり抜けたり、視野の広さと類まれなパスセンスが、当時から現在に至るまでの特徴です。

当時も、高校生として史上2人目となる日本代表候補に選ばれたり、全米ジュニア選抜と対戦する世界ジュニア選抜のメンバーに選ばれたりしました。

高校卒業時、数えきれないほどの大学やチームから誘われましたが、田伏選手が選んだのはハワイにあるブリガムヤング大学ハワイ校でした。

バスケットボールの強豪ではありませんでしたが、将来のNBA挑戦を見据え、英語プログラムの充実した同校を選んだのでした。

同校では、英語の実力を認めてもらわなければ、バスケットボールの試合には出場できませんでした。

バスケットボールより英語の授業が忙しくなる中、筋力トレーニングに励んだところ、腰を痛めてしまいます。

大学3年になって、ようやく試合に出場できるようになりましたが、今度はチームのレベルに満足できませんでした。結局、大学は3年で中退して日本へ戻り、トヨタ自動車アルバルクに入団しました。

トヨタ自動車では1年目から大活躍しましたが、オフにNBAの試合を生観戦したことでNBAへの挑戦を決意します。

2003年にアメリカへ単身渡り、大学時代のコーチの紹介でNBAのダラス・マーヴェリックスのサマーリーグに参加。

そこで声をかけられ、デンバー・ナゲッツの練習に参加しましましたが、最終的に契約はしてもらえませんでした。

田伏選手は、そのままアメリカに残り、独立リーグのロングビーチ・ジャムと契約しました。

練習場は公立の体育館で、移動はチームバス。十数時間もバスに揺られ、着いたらすぐ試合という経験もしながら、NBAをめざす仲間たちと腕を磨きました。

そして、翌2004年、参加したサマーリーグで認められ、フェニックス・サンズとついに契約が成立しました。開幕ロースター12人に選ばれ、日本人として史上初のNBA選手となったのです。

しかし、シーズンが始まると、同じガードのスティーブ・ナッシュ選手が大活躍したことから、他のポジションを補強するため、田伏選手は解雇されました。

4試合に出場して「プレー時間17分、7得点3アシスト」が成績として残っています。

その後も、アメリカで挑戦を続けましたが、2008年に日本に復帰すると、高校時代の恩師が監督を務めるリンク栃木に入団し活躍しています。

そんな田伏選手は、「ネガティブなことを考えるより、その間にできること。言い換えれば、その間にしかできないこと、それを自分なりに見つけて毎日取り組むべきじゃないかな」という言葉を残しています。

日本人初のワールドクラス選手・渡嘉敷来夢選手

アメリカのプロリーグWNBAのシアトル・ストームに所属する渡嘉敷来夢(とかしき らむ)選手は、1991年東京都で生まれました。

生後、埼玉県春日部市に移り、小学校では陸上競技に熱中して、6年生の時、全国大会の走り高跳びで優勝しました。

バスケットボールを始めたのは、中学生になってからです。身体能力の高さと180㎝あった長身でたちまち頭角を現し、3年生のとき、チームの中心選手として全国大会に出場。ベスト8に進出しました。

運動能力の高さで早くから注目され、多くの強豪高校から誘われました。

2007年に名古屋市にある桜花学園に入学すると、1年生から主力として活躍。そればかりか、身長が191㎝と日本人の中ではダントツに高いうえに、動きも俊敏だったため、日本代表候補に選ばれました。

結局、北京五輪最終予選の代表メンバーからは外れましたが、16歳で日本代表合宿に選ばれたのは、史上最年少記録でした。

高校時代は、インターハイ、ウインターカップでともに3連覇を達成、ウインターカップでは2年連続ベスト5に選出されるほどずば抜けた活躍ぶりでした。

高校を卒業すると、名門のジャパンエナジー(現在のJX日鉱日石エネルギー)に入社し、1年目から主力として活躍しました。

初めてのシーズンで「最優秀新人賞」はもちろん、シーズンMVPに輝き、19歳にして日本最高の選手になりました。

2013年のアジア選手権では、日本代表の中心メンバーとして活躍。日本女子が43年ぶり金メダルを獲得する原動力になり、大会MVPを獲得しました。

2015年からアメリカのシアトル・ストームでプレーしています。アメリカでもレギュラーを獲得し、日本人としては初めてワールドクラスの選手として活躍中です。

日本代表には、高校生の頃から選ばれています。リオ五輪への出場権をかけたアジア予選にも中心選手として出場し、大貢献しました。

日本人の女子で、初めてダンクシュートをした選手としても知られています。